すしざんまい木村清社長「世界に唯一で最高の市場を私たちがつくる」
――儲けと言えば、築地市場の豊洲移転に関連して、大和ハウス工業と共同して大型商業施設の進出を計画されたものの、最終的に断念されました。会見で「私利私欲でやったことではない……」と涙を流されました。
現在の築地市場。開発が進み新しいビルが建ち並ぶ隅田川対岸の勝ちどき地区と比べると、まるで時代が止まっているかのような印象を受ける。
木村:「築地市場」という文化を守りたかったんですよ。考えてみてください。世界中どれだけ探したって、生で食べられる魚をこれだけ扱っている市場は築地だけですよ。そのことを私たちはもっと誇りに思うべきでしょう。ご存じのように築地市場というのは、卸売市場である「場内」と、一般客向けの「場外」とで成り立っています。2016年の11月に「場内」は豊洲に移転し、「場外」は基本的には築地に残ることが決まっています。それはそれでいいけれど、やっぱり「場内」と「場外」がセットになった良さもあったほうがいいと、私は思うんです。豊洲移転を成功させ、東京、ひいては日本の魅力を国内外に発信していくためには豊洲に新たな「場外」を作ることが必要なんです。ならば、かつて寂れかけていた築地場外に「すしざんまい」を初めて開店させたときと同じ気持ちで私が豊洲に「場外」を作ろう、そう考えていたのです。
いろいろな問題があり結局実現させられませんでしたが、これからも「日本の食文化と市場は私たちが守る!」という気持ちに、今も変わりはありません。
いわゆる「場内」である築地卸売市場は1935年に開設されたもので、施設の老朽化が進んでいる上、貨物列車による輸送を前提とした建物の配置が非効率になっている。一方、輸送の主力がトラックに変わったにもかかわらず、駐車場が狭小で、ピークの時間帯には市場近くの道路に入場待ちの車がずらりと並ぶほどであった。さらに施設の規模そのものが、世界最大の市場と言われる扱い量をさばくにはあまりにも手狭となっていたため江東区豊洲の、東京ガス工場の跡地への移転計画が持ち上がった。
予定地の土壌が汚染されていることが判明したことなどで移転反対運動が起こったが、2012年に移転が正式に決定。2016年11月の新市場開所が決まった。
建設中の豊洲市場
公設の市場である「場内」の移転が決まる一方で、一般の商店街と同じ扱いの「場外」の動向が注目されたが、これまで通り都心の飲食店関係者が日常的な買い回りを続けられるよう、築地に残ることになった。しかし、建物の老朽化が進んでいるのは場外も同じ。そのため、隣接地に新市場を建設し、場内の移転と時期を合わせ「築地魚河岸」の名称でオープンする予定で整備が進められている。
なお、豊洲の新市場では、隣接地に「新たな場外市場」ともいうべき商業施設「千客万来」を、喜代村と大和ハウス工業が共同で設置すると発表されたが、その後、条件面での折り合いがつかず、計画は撤回された。
― すしざんまい木村清社長「ニッポンのマグロは私たちが守る!!」 ―