「下町ロケット」だけじゃない! 従業員の75%が知的障害者でも全国シェア40%を誇る中小企業会長が語る夢
2015.12.22
国産ロケットへの部品供給を夢見る、中小企業・佃製作所の奮闘記を描き、2015年、最大の話題作となった「下町ロケット」。ドラマを観て、胸を熱くした人もきっと多いことだろう。このドラマは全てフィクションであったが、佃製作所のように夢を追う中小企業は、実際の世界でも存在する。その一つが、ドラマの舞台となった大田区の隣、川崎市にある日本理化学工業というチョークを製造する会社だ。
日本理化学工業の従業員数は、佃製作所よりも少なく、84名。にもかかわらず全国シェアは40%、関東に限れば60%のシェアを誇っている。さらに驚くべきことに、84名のうち知的障害者が61名、このうち重度の知的障害者が28名にのぼるという。障害者雇用がなかなか進まない日本において、これだけの人数を雇用し、かつ業界のトップに君臨できた理由は、何なのだろうか? 父親が倒れ、大学卒業後「仕方なく家業を継いだ」という日本理化学工業会長の大山泰弘氏に話を聞いてみた。
「もともと私は、先生になりたかったんです」
そう語る大山氏。しかし、大学在学中に父親が倒れ、卒業後に会社を継ぐことに。やりたい仕事ではなかったため、当初モチベーションは決して高くなかったが、あることがきっかけで「働くことに喜びを見出せるようになった」という。それが、知的障害者の雇用だ。
「まだ大田区に会社があった1959年に、隣にあった養護学校の先生から『知的障害者2人を2週間、職業訓練生として受け入れてほしい』とお願いされたんです。というのも、当時、こういった学校に高等部はなく、15歳で学校を卒業すると、働くか施設に入るしかない。『学校を卒業するまでに、一生に一度、何日でもいいからせめて働く経験をさせてほしい』というのが、その先生の願いで、私自身も雇用するのでなければいいかと思い、引き受けることにしました。でも、2週間経った時、社員たちから『15歳で親元を離れて、遠い施設に入れられるのはかわいそうだ。自分たちが面倒を見るから雇ってほしい』と懇願されたんです。私が野心旺盛な経営者だったら、却下していたかもしれません。でも、この仕事は当初、仕方なく継いだ仕事でしたし、私自身まだ若輩で、自分より年輩の女性社員たちの言葉でしたから(笑)。『そこまで言うなら』と、雇用してみることにしたんです」
教えるのに時間はかかるが、一度覚えると、一心不乱に仕事をこなす。さらに、ともすれば、やり甲斐が見出しにくい工場の仕事だが、この2人が入ったことで「健常者の従業員もイキイキしてきた」ことに、大山氏は大いに感心したという。
「そもそも先生になりたかった身なので、教えることは苦になりませんでした。それに何より、彼らが成長していく姿を見るのは楽しかったですね」
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しかしその一方で、「施設に入り、働かずに済むなら、その方が幸せなのでは?」と考えることもあったようだ。
「彼らを採用してから3〜4年経った時に、禅寺である人の法事があったんです。その時に、お坊さんにふと、この疑問をぶつけてみたんです。すると、こう言うんです。人間は『人の役に立つことに幸せを感じる』んだと、『働いて人のためになることは、何よりの幸せなんだ』と。その時、ハッと気づかされましてね。たしかに、彼らは仕事がうまくいった時にほめてあげると、とても嬉しそうな顔をして、もっと一生懸命になってくれる。健常者の社員も、そんな彼らのために頑張ろうと、働いてくれる。誰もが人のためになろうと、働いてくれるんです。それにチョーク屋は、どんなに頑張っても、大きな会社にはなれません。だったら、この会社で、昔からやってみたかった先生みたいな仕事をしてみようと。会社を継いだ当初こそくすぶっていましたが、私が一番喜びを見出せる仕事は、実はこの会社にあることがわかったんです」
知的障害者を子供に持つ家庭の不安は、老後や親亡き後にもある。
「裕福な家庭であれば、老後も心配はないのでしょうが、実際は必ずしもそうではない。でも、重度の障害者であっても最低賃金をもらって働いていれば、月6〜7万円でグループホームに入居し、地域で自立できる。つまり、重度の知的障害者も働ける環境を作ることができれば、こういった問題は解決するんです」
1人の重度障害者が、20歳から60歳まで施設に入ると2億円かかるという。年間にすると500万円だ。そのお金は、現在、国から支払われているという。
「ウチでは知的障害者はすべて最低賃金以上の給与を得て働いているので、年間では150万円以上を稼いでいる。困ったら施設でケアしてもらえばよいというのではなく、国が最低賃金を負担して、中小企業に代わって、障害者に最低賃金を支払う制度ができれば、国は年間500万円かかっていたところを350万円削減でき、障害者は地域で自立ができます。こうすれば、両親や家族は安心できるし、障害者を雇う側の中小企業も、その分を経営強化にあてることができます。旋盤工場の社長さんに、このことを話したことがあるのですが、旋盤技術の職人にすることは難しいかもしれないが、職人に材料を運ぶなど簡単な仕事を引き受けてくれるだけでも、仕事効率は飛躍的に上がると言っていました。それと以前、視察に来たベルギーの方が、ウチの会社が重度の知的障害者を雇うことができる理由を『職人文化を持っているから』と分析していました。これには、『なるほど』と思いましたね。日本には、マニュアルを読んで覚えさせるのではなく、先輩が後輩に手取り足取り、仕事を教える文化がある。特にこの文化は、中小企業で顕著。だから私は、中小企業のもう一つの活路としても、国が中小企業を活用する、こんな障害者雇用制度を作ることがベストなんじゃないかと思うんです」
日本理化学工業では、すでに5人の知的障害者が、定年まで勤め上げている。初めて雇用した知的障害者の一人は、就労を支えてくれた母親が100歳になり、母親の体調を理由に「もうそろそろ卒業します」といって退職するまで、15歳~68歳まで働き続けたという。
「大学では、法律を学んでおりましてね。その辺は、少しだけ詳しいのですが、日本国憲法27条には『すべて国民は、勤労の権利を有し義務を負う』とあるんです。知的障害者を多く雇っているので、私の夢は『障害者雇用の促進』だと思われがちなのですが、実はそうじゃないんです。『憲法にそう書いてあるんだから、その通り、重度の障害者でも働ける社会を実現しなきゃいけませんよね』というのが、私の理念で、誰もが必要とされ役に立って働ける『皆働社会』を実現することが、私の夢なんです」
大山氏が中学生の時に読んで感銘を受けたという『二十四の瞳』。この本の中には「先生とは心を美しくする彫刻家だ」と書かれていたという。自身の夢を熱く語る大山氏の瞳には、佃製作所の社長同様、一点の曇りもない。<文・写真/HBO編集部>
人の役に立つ仕事は、自分を幸せにする
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憲法27条の実現こそが、日本理化学工業の夢
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