信じていた仲間に裏切られたとき、人はいかに振る舞うべきか?
2015.12.06
気分や状況で、ガラッと態度を変える人がいる。知り合って日が浅い間柄ならまだしも、”仲間”と信じていた相手にやられると相当きつい。思いもよらない「手のひら返し」に遭遇したら、どう対応すればいいのか。
今回は、大正時代の帝都・東京を舞台に伝説の怪盗たちが活躍する『闇の花道』(浅田次郎著/集英社文庫)から、ヒントを探りたい。同書は「天切り松闇がたり」シリーズの第一巻。主人公の松蔵が、留置所の看守や悪党たちにせがまれ、義賊時代の思い出を語り聞かせる。
主人公・松蔵は幼い頃に母親を亡くす。父親は貧しさのなかで、博打にハマり、松蔵の姉・おさよを吉原に売り飛ばす。松蔵自身も盗人一家に預けられる。そんなどうしようもない父親の行動も、根底には”苦労”があったと松蔵は振り返る。
失礼な対応にカッとなる前に、やむをえない事情を想像してみる。それは相手のみならず、自分にとっても救いとなる。はかりしれない”苦労”があったと思えば、多少の無礼は許せる。実際には何もなくても、ぶしつけな相手に心を砕く時間を減らせるなら、結果オーライだろう。
松蔵は姉のおさよを吉原から救い出すべく、奔走する。しかし、ようやく身請けできる状況が整ったとき、おさよの命は残りわずか。嘆き悲しむ松蔵に、偶然居合わせた作家の永井荷風が「人はみな似たようなものだよ」と諭す。
“人はみな似たようなもの”という荷風の言葉は、不幸や不運は誰の身にも等しく起こりうることを示唆する。例えば、踏みつけにされたと腹を立てる自分自身も、気付かぬうちに誰かをないがしろにしているかもしれない。そうとは知らず、恨みを買っている可能性もある。他人の心の動きを知るのは容易ではない。だからこそ、意識的に想像を巡らせる必要があるのだ。
姉を救えなかった後悔で泣き崩れる松蔵。しかし、永井荷風は「泣くばかりでは、何も変わらない」と制し、さらには「嘆くだけなら犬にもできる」とまで言う。そして、「歌を、唄いなさい。唄うことは、人間にしかできない」と励ます。
泣いても嘆いても、事態は変わらない。では、何ができるのか。松蔵の場合は「唄うこと」だったが、人によっては笑うことかもしれない。作り笑いでも構わない。口角を上げ、背筋を伸ばす。胸を張り、目線を上げる。明るい声音で話すことを意識する。こうしたポジティブな所作そのものが、前向きな感情を引き出す。
よく知った相手に、手のひらを返したような態度をとられたとき、まず真っ先にすべきは不愉快さの矮小化である。腹立たしい感情に飲み込まれないことが先決。にこやかに受け流すのが難しければ、すみやかにその場を逃げ出し、”時間”の力を借りるのも手だ。
<文/島影真奈美>
―【仕事に効く時代小説】『闇の花道』(浅田次郎著/集英社文庫)―
<プロフィール>
しまかげ・まなみ/フリーのライター&編集。モテ・非モテ問題から資産運用まで幅広いジャンルを手がける。共著に『オンナの[建前⇔本音]翻訳辞典』シリーズ(扶桑社)。『定年後の暮らしとお金の基礎知識2014』(扶桑社)『レベル別冷え退治バイブル』(同)ほか、多数の書籍・ムックを手がける。12歳で司馬遼太郎の『新選組血風録』『燃えよ剣』にハマリ、全作品を読破。以来、藤沢周平に山田風太郎、岡本綺堂、隆慶一郎、浅田次郎、山本一力、宮部みゆき、朝井まかて、和田竜と新旧時代小説を読みあさる。書籍や雑誌、マンガの月間消費量は150冊以上。マンガ大賞選考委員でもある。
「苦労は人間を博打打ちにも肺病やみにも、盗人にせえ変えちまう」
「人はみな似たようなものだよ」
「歌を、唄いなさい。唄うことは、人間にしかできない」
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