安倍首相の天下取りと改憲を宣言した11年前のある対談――シリーズ【草の根保守の蠢動 第15回】
2015.09.26
前回より日が開いてしまった。その間にも安保法制が強行採決されるなど大きく動いたわけだ。安倍内閣がこのような流れを辿るであろうことは、あるキーパーソンと安倍の関係を知っていれば11年前のある日に決定づけられていたことがわかる。
連載第13回で紹介した、「安倍首相の筆頭ブレーン」と称される伊藤哲夫氏である。彼は、2006年9月の第一次安倍政権誕生前から、安倍晋三の周辺に付き従い、安倍晋三をプロモートし続けてきた。
その代表例として前回紹介したのが、「2004年8月15日の『チャンネル桜』開局記念番組は、伊藤哲夫と安倍晋三のトーク番組だった」という事実だ。
『チャンネル桜』が開局した2004年8月当時、安倍晋三は自民党の幹事長職をつとめていた。当選回数も浅く大臣経験もない「若造」の幹事長就任は、前代未聞といっていい。この大抜擢をおこなったのは、時の総理総裁・小泉純一郎。小泉はこの時、不文律として自民党の中で長年尊重されてきた「総幹分離原則」(一派閥への権力集中を防ぐため総裁職と幹事長職を同じ派閥から出さないという人事上の原則)を無視して安倍晋三を幹事長に抜擢している。まさに、小泉の代名詞ともいえる「サプライズ人事」の典型例だろう。
ある意味、安倍晋三は、「小選挙区制の申し子」とも言えなくもない、中選挙区制の時代でれば、いかに小泉に絶大な国民的人気があったとはいえ、党内の因習や権力バランスを無視し、当選回数の浅い若手議員を自派閥から幹事長に抜擢することは困難を極めたであろう。党内で造反がおこり反執行部の狼煙が上がったにちがいない。小泉流の「サプライズ」も「即決断行」も、公認権をはじめとする党内の人事権を執行部が独占する、小選挙区制度特有の仕組みがあればこそだ。
と、同時にこの異例の抜擢は、安倍の脆弱さも物語る。
この大抜擢のわずか2年後、小泉のあとを引き継ぎ、安倍は総理総裁まで上り詰める。 が、いかんせん、たった2年である。自派閥の中にさえ、中川秀直や町村信孝など、安倍よりも遥かに当選回数も閣僚経験も豊富な人材がひしめいている。そんな中、派閥の領袖としてさえ権力基盤を構築しえないまま、安倍は総理総裁になったのである。つまり、それまでの総理総裁と比べ、安倍の党内権力基盤は驚くほどに脆弱なのだ。日本会議や「生長の家原理主義者ネットワーク」をはじめとする「一群の人々」が安倍の周りに蝟集し影響力を行使できるのも、この権力基盤の脆弱さゆえであろうと筆者はみている。安倍は他の総理総裁よりつけこみやすく、右翼団体の常套手段である「上部工作」が効きやすいのだ。
このように、拙速といっていい速さで安倍が権力の階段を上りつつあった2004年、伊藤哲夫は安倍晋三を「チャンネル桜開局記念番組」に呼んだ(※1)。
対談のタイトルは「改憲への精神が日本の活力源」。タイトルのとおり、大半は改憲の話題で占められている。
この対談で安倍が挙げる「改憲すべき理由」は、「占領下に、明らかにGHQによって作られた憲法であること」という一点に収斂される。(※2) この安倍の主張に対し、伊藤は「(今の憲法には)日本国民としての自覚、あるは日本国民としての誇り、そういう問題が欠落しているところだと思うんです」と同意し、両者で「日本人が自らの手で憲法を書くこと」の重要性を両者で指摘するというのが、この対談の骨子だ。
安倍も伊藤も「自分たちで新しい憲法を論じ、書き上げていくという精神こそが新しい日本を作っていく活力になっていく」、「(憲法を書く行為が)日本国民としての誇りを作る」などと、精神論のみに終始し、一切具体的な話はないため、この「改憲対談」の中に、特筆すべき論点はない。本質的に床屋政談や居酒屋の愚痴と変わらないレベルだ。
しかし、注目すべきは、対談の締めくくりである。
対談の終盤、やおら伊藤は、「保守としての主張を強く打ち出していくのと同時に、やはりそれを実現するためのある種の『革命』が求められているんじゃないかと、そう思うんです。そういう保守革命を担うリーダーこそが安倍幹事長でなくてはならない、と私どもは思っています」(太字部筆者)と、安倍への最大限のバックアップをうたいあげる。そして安倍はこの伊藤のエールに何の臆面もなく「私もそういうリーダーたりえたい」と真正面から応じ、二人で、「保守革命」へ邁進することを誓い合うところで、この対談は終了している 。
つまり、「チャンネル桜」開局記念番組とは、安倍晋三とその支援者による「将来の天下取り宣言」の場であったのだ。
この対談から11年。
安倍晋三は、今、総理の座にいる。
昨年夏には集団的自衛権を合憲とする閣議決定を行い、事実上、憲法を骨抜きにした。そして、安保法制を強行採決させた後、自民党総裁に再選された安倍は、9月24日の会見で改めて改憲への意思を強調した。
改憲への道を突き進み、「保守革命」とやらの担い手と自認する安倍晋三の後ろには、伊藤哲夫が言う「私ども」が控えている。この「私ども」とは一体誰なのか? そして伊藤哲夫はこれまで何をしてきたのか。
次回は「日本政策研究センター」を立ち上げる前の伊藤哲夫氏の来歴を振り返り「日本政策研究センター」と「日本会議」の人的ネットワークを明らかにする。
ご期待願いたい。
(※1)この対談は、伊藤哲夫が代表をつとめる「日本政策研究センター」の機関紙「明日への選択」2004年11月号に全篇が収録されている。
(※2)この対談で安倍は「私は、なぜ憲法を変えるのですかと言われると、三つの理由をあげます」と発言している。二つ目の理由としてあげたのは「改正しなければいけないから」というものでしかなく理由として成立していない。三つ目の理由としてあげているのが「自分たちで新しい憲法を論じる必要がある」という点。これも一番目の理由と重複しており、別の論点とは言い難い。
<取材・文/菅野完(TwitterID:@noiehoie)>
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