無駄な「怒り」をコントロールして人生を充実させるたった一つの方法
2015.09.19
【石原壮一郎の名言に訊け】~モンテーニュの巻
Q:世の中、腹の立つことばかりだ。政治家はバカばっかりだし役人も教師もたるみきっている。あの国もあの国も日本をナメているとしか思えない。会社でも若いヤツらにイライラさせられまくりだし、上司や重役たちも威張るしか能がないボンクラばかりだ。まわりは俺のことを「怒りっぽいヤツ」と思っているようだが、こんなくだらない世の中で怒らずにいられるほうが異常じゃないのか。俺だって穏やかな気持ちでいたいけど、怒らずに暮らせる方法があるなら教えてもらいたいもんだ。(茨城県・34歳・営業)
反対の意思を示したり意見の違いを埋めたりするときに、怒るという行為は何の役にも立ちません。むしろ事態を悪化させるだけです。怒ることでしか気持ちを表現できなかったり、怒ることがカッコよくて勇ましいと思っていたりするのは、大人として未熟すぎます。怒るのは、いわば「最後の手段」。その前に、いろんな方法を模索しましょう。
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いしはら・そういちろう/フリーライター、コラムニスト。1963年三重県生まれ。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』(扶桑社)でデビュー。以来、さまざまなメディアで活躍し、日本の大人シーンを牽引している。『大人力検定』(文春文庫PLUS)、『大人の当たり前メソッド』(成美文庫)など著書多数。近年は地元の名物である伊勢うどんを精力的に応援。2013年には「伊勢うどん大使」に就任し、世界初の伊勢うどん本『食べるパワースポット[伊勢うどん]全国制覇への道』(扶桑社)も上梓。最新刊は、定番の悩みにさまざまな賢人が答える画期的な一冊『日本人の人生相談』(ワニブックス)
A:す、すいません! ……いや、怒っている人がいると、自分が原因じゃなくても、反射的に謝りたくなりますよね。まったくもう、ハタ迷惑な話です。喫茶「いしはら」のカウンターには、いつもニコニコ穏やかな老紳士の布袋さんがいらっしゃいます。噂によると元大学教授だとか。布袋さん、この人、かなり怒ってますけど、どうしましょう。
ホッホッホ、若いもんは元気があっていいのう。怒るのは楽しいからのう。怒っているあいだは、自分が文句なしに正しいという気持ちになれる。ワシも若いころは、よく怒ったもんじゃ。理不尽な世の中、わからずやの上司、ダメな自分……。怒るネタはいくらでも転がっていた。残念ながら、どんなに怒っても何ひとつ解決しなかったがな。ホッホッホ。
怒るのはたしかに楽しいが、その一方で、とても疲れることでもある。マスターも言うように、ハタ迷惑でもあるな。お前さんがいろんなことに腹を立てるのは勝手じゃが、もしそんな自分をカッコイイと思っているとしたら、それは勘違いも甚だしい。
16世紀のフランスの哲学者でモラリストでもあるミシェル・ド・モンテーニュは、著書「随想録」の中で、こんなふうに言っておる。
「愚者のもっともたしかな証拠は、自説を固守して興奮することである」
おわかりかな。怒るというのは、まさに「自説を固守して興奮」している状態じゃ。本人は勇ましい自分を見せつけているつもりかもしれんが、たいていの場合は「愚者のもっともたしかな証拠」にしかなっておらん。平たく言えば「怒っているヤツはバカにしか見えない」ということじゃ。同じ「随想録」の中には、こんな言葉もある。
「怒りは奇妙な用法を有する武器である。他のすべての武器は、人間がこれを用いるものだが、この武器はわれわれを用いる」
怒りをあらわにしているとき、人は怒りという武器に支配されていると、モンテーニュは言っておるわけじゃ。思い当たる節があると感じるか、そんなことはない自分は怒りという武器を使いこなしていると考えるか、お前さんはどっち側の人間かな。「怒らずに暮らせる方法」を知りたいようじゃが、そう難しいことではない。「怒っている自分を美化する」ことをやめたら、恥ずかしくなって、今よりもずっと怒らずに暮らせるじゃろう。
当たり前じゃが、いろんなことに無関心になれとか物わかりよくなれと言いたいわけではない。むしろ逆じゃ。本気で考える気があるなら、怒るという反応は最後まで取っておくのが、大人の分別であり知性にほかならない。怒るという目先の快感に溺れてしまって何も考えないのと、無関心で知らん顔をしているのとは、じつは似たり寄ったりじゃ。
【今回の大人メソッド】怒るのは「最後の手段」。ほかの方法を模索しよう
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