タイで新たにコミュニティを作る「新華僑」たち
日本では、「中華街」といえば、関東では横浜の名前がまず上がるのは当然だろう。しかし、近年では池袋や西川口~蕨エリアなどが新たに「新中華街」化しつつあるのはよく知られた話だ。
ヤワラーの華僑が、時のタイ政府の移民同化政策で続々とタイに帰化し、タイ華人として根付いていったのに対し、昨今は移民は認められず、ノン・イミグラントビザ保有者が帰化申請をするしかタイ国籍を得ることができない。
そのため、この新興中華街にいる中国人たちは国籍もアイデンティティも中国のままなのである。例えば、飲食店はタイ語ができる従業員がまったくいなかったり、メニューに英語もタイ語もなく、中国語で中国人のために営業しているところも少なくない。近所のタイ人経営の屋台では中国語併記も当たり前になっているし、中国人企業のための商社や問屋なども並んでいる。
タイ人の住民に話を聞いても、誰もが「いったいいつからこうなったのかはわからない」と答える。筆者の記憶では2010年ごろはまだここまで中国化が顕著ではなかったと思う。この通りの近くに区役所があるので、この地域出身の職員に話を聞いた。
「いつというのは正確にはわからないが、とにかくここに中国人が集まってきているのは間違いない。彼らはヤワラーと違って、あくまで中国人として生きている。去年くらいからはもうこっちの通り(プラチャラートバンペン通りと繋がる別の通り)まで広がっている。あと2、3年でホワイクワンは中華街になってしまうだろう」
そもそもタイ人のルーツは中国の方からの徐々に南下してきた民族だとされ、中国雲南省などには今もタイ族がいる。彼らはタイヤイ族と呼ばれ、タイ語にかなり似た言語を話すので、中華料理店などではウェイトレスとして重宝される。そんな彼女らに何人なのかと聞いてみる。すると、人によっては中国人と答え、一部はタイ北部出身だと答える。後者は発音を聞けばタイ人でないことは明らかで、不法入国ではないものの、不法就労なのでそう答えるのだろう。
なぜここに中国人が集まるのか、ホワイクワンに暮らす華人に聞いてみた。
「まず、ラチャダーピセーク通りに中国大使館があること。それから、下町なのでホテルが安く、ツアー客が多かったこともあるかと思います」
この辺りには中国人団体旅行客が利用する安ホテルが数軒ある。最初は旅行で来て、気がついたらタイに住んでいたという日本人も多いが、中国人も同じなのだろう。ビジネスチャンスをタイに見出し移住するつもりで来たが、わかるのは泊まったことのあるホワイクワン。しかも、下町なので物件も安い。そうして段々と増え始め、あとは人を頼ってまたここに中国人が集まる。こうして新中華街が形成され始めていく。
新興中華街にはメリットもある。バンコク市内にも安くておいしいと人気の中華料理店は数多くあるが、どれも外国人向きの味になっている。しかし、ここは本場の味をそのまま出す。例えば麻婆豆腐などは山椒と唐辛子がこれでもかと効いた、まさに本物の媚びない辛さを体験できる。中華料理が好きな日本人は多く、今後そういった楽しみが新たにできるようになるという魅力はある。
<取材・文・撮影/高田胤臣(Twitter ID:@NaturalNENEAM)>
実はこれはタイでも同じような状況だ。
バンコクで中華街といえば以前報じたヤワラー通りを中心にしたエリアがまず思い浮かぶ。その辺りは1782年ごろから中華系移民たちが集まってできた中華街だ。現在はタイに帰化した華人ばかりが暮らしている。教育もタイ語で受け、中国のアイデンティティを持っていない者もいるほど、タイ人化している。そのため、ヤワラーはタイ最大の中華街でありながら、ほとんどタイと言っていいような街並みになっている。タイ語の看板もあるし、そもそもタイ語が通じない店などどこにもない。
そんな中、バンコクの下町の一角に新中華街が誕生しようとしている。地下鉄が走るラチャダピセーク通りに交わるプラチャラートバンペン通りで、ホワイクワン市場というナイトマーケットが有名な地域だ。この辺りに今、中国人が集まり、中華街が形成され始めている。
ヤワラーのタイ華人との違い
旅行で来てタイに住み着く日本人や中国人
(Twitter ID:@NatureNENEAM)
たかだたねおみ●タイ在住のライター。最新刊に『亜細亜熱帯怪談』(高田胤臣著・丸山ゴンザレス監修・晶文社)がある。他に『バンコクアソビ』(イースト・プレス)など
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