並盛290円。その安さは、依然健在だ
かつて、小規模チェーンながら吉野家や松屋といった大手チェーンに、果敢にも勝負を挑み続ける牛丼屋があった。それが、伝説の牛丼チェーン『牛丼太郎』だ。都内のみのチェーン展開だったため、その名を知らない人もいるかもしれないが、人気コミック『めしばな刑事タチバナ』でも取り上げられるなど、カルト的な人気を誇る牛丼チェーンだった。
1990年、吉野家が「並盛350円⇒400円」への値上げを発表し、他のチェーンも追随するなか、牛丼太郎は350円を維持。さらに、松屋に対抗するために300円、らんぷ亭に対抗するために250円と、ライバルチェーンが価格を下げるたびに負けじと値下げを断行し、2001年にはどのチェーンよりも早く「並盛200円」の金字塔を打ち立てたのは有名な話。しかし、そのあまりに無謀なデフレ価格が足枷となり、経営は徐々に悪化。2012年、ついに運営会社(株式会社深澤)は全店舗の営業を停止し、2013年に倒産。代々木と茗荷谷の2店舗は、「丸光」という会社が『丼太郎』と名前を変えてその味を引き継いでいた。
あれから3年。代々木店も今年の春に閉店し、牛丼太郎の遺伝子を継承する店は、丼太郎・茗荷谷店を残すのみとなった。しかし、なぜ立地的に集客力の劣る茗荷谷店を残したのだろうか? また、運営会社の「丸光」も『丼太郎」もWebサイトすらなく、さらに言えば、“丼太郎”の読み方もよくわからない。
そこで編集部では、丼太郎・茗荷谷店に出向き、直撃取材。誰もが疑問に思っている質問を片っ端からぶつけてみた!
丼太郎は“牛丼太郎愛”にあふれた元従業員によって作られていた
茗荷谷駅から春日通りを後楽園方面に進むこと5分。最後の丼太郎は、そこにある。
「あ、いいですよ」
取材オファーをするや、そう言って厨房から出て来たのは、営業部長の佐藤氏だ。「机のようなものは、この会社にはないんです」と語る佐藤氏は、仕入れなど営業全般を担当しつつ、日々厨房にも立っていると言う。
牛丼太郎に20年間勤務した佐藤氏は、会社倒産と同時に、有志3人と会社(株式会社丸光)を設立し、『丼太郎』経営に乗り出した。しかし当初は、「賃貸料が安く、有志3人の家から近い」という理由で、茗荷谷店だけを引き継ぐ予定だったのだと言う。
「最初から、ぼくらの中に代々木店をやっていくという構想はなかったんです。ただ、思いのほか『牛丼太郎で働きたい』っていう人が多くて(笑)。仕方なく、賃貸契約がまだ残っていた代々木店を契約が切れるまで続けることにしたんです」
キャラクターと“牛”の文字が消された看板。しかし、どんぶりは依然キャラクターが印刷されたものが使われている。
あくまで予定されていた閉店だったというわけだ。次に“丼太郎”の読み方だが、そこには意外にも戦略的な理由が隠されていた。
「3人とも牛丼太郎が好きで、何とか続けられないかと思って、始めた事業なんですが、単なる一従業員だったので、当然お金はありません。そこで、なるべくお金をかけずに看板を変えようとした結果が“丼太郎”でした(笑)。読み方は“どんぶりたろう”です。でも、牛丼太郎が好きだった人って、私たちの他にも意外に多い気がするんです。牛丼太郎の面影を残すことによって、懐かしく思って、足を運んでくださるお客さんを期待している部分もあるんです」
牛丼太郎が好きだった人が集まり、その味を好きな人に食べてもらう。そんな思いから、茗荷谷の地で細々とお店を続けているのだという。
牛丼だけでなく、あの納豆丼も健在。220円という破格の安さで提供している。
会社のWebサイトもなく、BSE騒動時には、他のチェーンが牛丼の提供を見合わせるなか、依然として低価格で牛丼を提供し、「本当に牛肉を使っているのか?」という噂も立ったが、これにも前社長の確固とした信念があったためだったという。
「ホームページがなかったため、誤解を招くこともあったようですが、これは牛丼太郎の社長が古い方で、そういったツールに興味がなかったのと、そこにお金をかけるぐらいなら、少しでも安く牛丼を提供したいという思いがあったからだと思います。実際、“どこよりも安く牛丼を提供する”ことが牛丼太郎の方針でしたし、ホームページのほかにも、回転率を上げるために立ち食い店を作ったり、椅子をパイプ椅子にしたりと、いろいろとコスト削減に苦慮していました。牛肉にしても『どこそこ産のものでないとダメ』という発想ではなく『その時一番安いものを仕入れて提供する』というスタンスでやっており、そのために味が変わり、『牛肉ではない』なんて噂も立ったのかもしれませんが、正真正銘の牛肉でしたし、もちろん安全な肉でしたよ(笑)」
こだわりは、あくまで安さ。丼太郎では、牛丼太郎の仕入れルートを使うことができず、低価格で提供することに苦労はしているようだが、それでも何とかやっていくことはできると言う。
「バイトを雇うこともありますが、基本は3人ですべての仕事を回しています。なので、忙しいし、大儲けはできませんが、食べていくことはできています。それに、この牛丼が好きで始めたことですから、今のままで十分満足していますよ」
売上げの減少から、値上げを余儀なくされる大手チェーンとは相反し、小規模ながら頑に低価格路線を維持させる丼太郎。名前こそ変われど、そこには牛丼太郎の遺伝子が、しっかりと根付いているようだ。<文・写真/HBO編集部>