社会的に問題ある団体と協働し「美しい国」を語るおかしさ――シリーズ【草の根保守の蠢動】特別企画「宗教と政治の交わるところ」第二回【後編】

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「カルト」という語の難しさと「一群の人々」の節操のなさ

日青協の機関誌『祖国と青年』では昭和から何十年も同じような主張を続けている

菅野:属性ということでいえば、日本会議に宗教団体が多数所属していることを根拠にして、すぐ「あれ、カルトでしょ。カルトだからダメでしょ」って言っちゃう人が出てくる。しかしこの「カルト」という言葉はなかなか難しい。そういえば先生は、研究のなかで「カルト」って言葉をお使いになられませんね。まあ「カルト」って言っちゃうと研究にならないってこともありますでしょうけども。 塚田:私は「カルト問題」という言い方・見方をすることが多いです。当然リスク回避という意味もあるんで、私自身は「これがカルトで、あれがカルトではない」みたいな言い方はしないですね。社会学的なやり方とも言えますけれど、カルトというレッテルが貼られるからには、そこに原因なり、論争なり、軋轢があるんだろうと。そこの具体的な問題を見ていけばいいんだろうって考えています。一見遠回りのようではありますが、実は「カルトだからひどい」っていう言い方をしてしまうと、「カルト」の定義は何とするのが妥当か、対象がその定義にあてはまるかどうかの二段階を、検証しないといけないですよね。他方で、「この対象はこういう問題を抱えているから、やっぱりよくないんだ」という言い方のほうが直接的だと私は思うんです。  菅野さんは、「日本青年協議会はカルトだ」っておっしゃることもあるようですけど……。 菅野:日本会議がカルトだとは思いませんが、中枢の一部はカルト化してるとおもいますね。中枢である日本青年協議会はカルトだと。 塚田:フランスのセクトの定義を引用されたりしてそうおっしゃっている。そういうやり方をとられているわけですけど、そう呼ぶからには、日本会議の中枢である日本青年協議会がどんな問題を持っているのかという具体的な検証を進めていかなければいけないですよね。  ただし、一点だけ言っておきたいことがあります。それは、「カルト」かどうかはともかく、社会的に問題のある団体や勢力と平気で協働できてしまう日本会議やその周辺、関連する政治家らの姿勢は、当然問題視され、批判されるべきものだということです。  具体的には、まず統一教会(世界基督教統一神霊協会)とその政治団体である国際勝共連合や関連団体。我が国の国民に膨大な献金や霊感商法や海外送金などで多大なる宗教的―金銭的被害を与え続けてきたことは厳然たる動かしようのない事実です。本書では少ししか書けませんでしたが、複数の現職閣僚や国会議員が関係を取りざたされてきています。そのような運動から支持を受けたり連携したりしていながら、それでいて「美しい国を」なんて、ちゃんちゃらおかしいとしか言えません。 菅野:これはさっきも話にでた「思想の側や政治の側が、宗教を利用している」という側面が絶対あるんですよ。 塚田:幸福の科学=幸福実現党の問題もあります。「霊言」という宗教的実践を媒介として、日本の神々や歴代天皇、今上天皇や皇族の方々の「本心」などとするものをかたったり、主義・主張の合わない政治家らや、批判的なジャーナリズムなどを社会的に攻撃したり貶めたりしています。また、国のために働く文部科学省職員らへの脅迫的言動もありました(産経新聞 2015年4月29日付)。日本会議的なものと幸福の科学のナショナリズム=国家観、天皇観のちがいについては、本書で論じつくしたと私は思っていますし、彼らがいつにわかに靖国神社に行きだしたり、皇室・神道・日本文化のことを機関誌などに取り上げ始めたか、また愛国やら国防やら保守と言い出したか、きちんとおさえておくべきでしょう。しかしそれでも菅野さんのグレンデールについてのレポートが指摘するように、なぜさまざまな形で近づけるのか、手を組めるのか、本当に理解に苦しみます。そこにはそれらを媒介する知識人らの姿もよく見られます。 菅野:節操がないんですよね。 塚田:そう、節操がない。 菅野:その節操のなさが、例えば僕の連載でグレンデールの慰安婦問題で書いたように、山本優美子のような、ついこないだまで、在特会の副会長をやってて、「朝鮮人皆殺し」みたいなプラカードを掲げるデモを主催していたような、排外主義者やいかがわしい連中と結びついてしまう。そして大きな大会の講師とかに呼んで、ある意味、オーサライズしちゃう。そうなってくるともうとんでもない奴が、気づくと、とんでもない要職に座っている……なんてことも起こりつつある。 塚田:そのような排外主義的な勢力とも協働してしまう。  このような諸勢力や諸団体と手を組んだり、近しくなっておきながら、「なにが国民運動か!」と思いますよね。そうした諸活動に、広く見れば諸教団・団体に属する末端の信徒・会員の人たちが関わる局面もあるわけで、本当に気の毒と思います。教祖や指導者が目指したもの、教団の日々の教え、みなさんが求めたものははたしてそれなんですか、と。

読者に戸惑ってもらいたい

塚田:本書は、特段、難しい言葉で書いていないつもりですが、かといって、わかりやすく書いているわけでもないです。また、私なりの問題意識はありますが、明確な政治的スタンスや指針を示しているわけでもない。ある意味、すっきりしない本かもしれません。読んでもらって、圧倒的な事実と現実を前に悩んでほしい、戸惑ってほしいと思います。 菅野:そこは僕も全く同じですね。読者に戸惑ってもらいたい。「なんで事態はここまで進んでしまったんだ」、と。そして、宗教が社会や政治を利用するという側面よりも、ある一定の思惑をもった人間が宗教を利用して人々を動かしている側面があるんだぞと。動かされている人々よ目を覚ませともいいたいですね。  もう一つの問題意識は先ほども出た「宗教リテラシーの低さ」という点です。先日、警察を取材していて雑談のなかで「最近、宗教っぽいことを手口にする結婚詐欺が増えてきた」という話を聞きました。最近の結婚詐欺師はスピリチュアルなことを餌に被害者を釣るらしいんですね。これは、我々の社会がもっている共通の弱点かもしれない。宗教的なものをみると、極端に惹かれるか拒絶するかのどちらかしかない。それじゃだめなんです。ただ、詐欺師は宗教を利用するのは事実なんで警戒するにこしたことはない。そして、日本会議に参加する教団のみなさん、そういう手口にひっかかってませんか?ということは、いいたいですね。 塚田:私が神道系の大学に所属していること、日本会議の正会員であること、本書が花伝社という出版社から刊行されたこと、そして扶桑社のウェブメディア「HARBOR BUSINESS Online」において他ならぬ菅野さんと対談したこと、これらは全て「事実」ではありますが、それぞれ「記号」でしかありません。ぜひ中身で判断していただけたらと思います。  菅野さんの連載と私の本は、注目点と問題意識がもちろん違う。でも、同じ「山」のことを書いている。ぜひ、両方読んでもらえたらと。両方読んだら、現時点では「最強」なんじゃないでしょうか。宗教と政治の関係、そして日本の現在を考えるきっかけとしていただけたら、と思います。 <文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)> 塚田穂高●1980年、長野市生。國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所助教。専門は宗教社会学で、新宗教運動・政教問題・カルト問題などの研究に取り組む。ちなみに、取材活動などがあるため残念ながら近影はNGとのこと。Twitter ID:@hotaka_tsukada
日本会議の研究

「右傾化」の淵源はどこなのか?「日本会議」とは何なのか?

宗教と政治の転轍点―保守合同と政教一致の宗教社会学―

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