セクハラ概念に疑問を抱くサラリーマンへの処方箋
2015.07.09
【石原壮一郎の名言に訊け】~稲盛和夫の巻
Q:前々から疑問でしょうがないんです。知り合いの女性のお尻を「よっ、こんにちは」という感じで触ったら、たいへんなことになりますよね。それって、そんなにいけない行為でしょうか。いや、電車などの痴漢は論外です。身動きできない状況で知らない女性のお尻を触るのは、卑劣な行為だと思います。でも、知り合い同士なら、お尻を触るぐらいいいじゃないですか(シリ合いだけに)。「よっ、こんにちは」と肩に触れるのは問題ないわけだし、握手のほうがよっぽどいやらしくないですか。怒られたくないのでお尻を触りたくても我慢していますが、いくら考えても納得できません。(神奈川県・30歳・営業)
モリシゲさんの言い分は、かなり手前味噌です。「他」への愛がどうのというより、たぶん年寄りだから大目に見てもらっているだけ。しかし、こんなふうに言い切られると、なるほどそういうものかとうっかり納得しそうになります。勇気のある方は、モリシゲさんの言い分を振りかざしつつ行動を起こしてみてください。どうなっても知りませんけど。
【相談募集中!】ツイッターで石原壮一郎さんのアカウント(@otonaryoku )に、簡単な相談内容を書いて呼びかけてください。
いしはら・そういちろう/フリーライター、コラムニスト。1963年三重県生まれ。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』(扶桑社)でデビュー。以来、さまざまなメディアで活躍し、日本の大人シーンを牽引している。『大人力検定』(文春文庫PLUS)、『大人の当たり前メソッド』(成美文庫)など著書多数。近年は地元の名物である伊勢うどんを精力的に応援。2013年には「伊勢うどん大使」に就任し、世界初の伊勢うどん本『食べるパワースポット[伊勢うどん]全国制覇への道』(扶桑社)も上梓。最新刊は、定番の悩みにさまざまな賢人が答える画期的な一冊『日本人の人生相談』(ワニブックス)
A:いきなりハンマーで、頭をガツンとやられた気持ちです。そうですよね、なぜいけないことになっているのか。いや、でもやっぱり、そりゃダメでしょとも思うし……。今日の喫茶「いしはら」のカウンターには、駅前旅館のご隠居の森山繁蔵さん、通称モリシゲさんがいらっしゃいます。御年83歳。手が届く範囲に女性が近づくと、必ずお尻を触る元気な老紳士です。この若者、こんなこと言ってますが、どう思いますか?
ホッホッホ、そうか、女人の尻を触りたいか。尻だけではなく、ふとももや胸も触りたいのではないかな。ホッホッホ、男なら当然じゃ。じゃが、道は険しいぞ。昔から「もも尻3年、胸8年」と言っての、自然に触れるようになるまでには長い修行が必要なんじゃ。
もしかしたらおぬしは、尻をなめてはおらぬか。いや、そういう意味でのなめるではなく、心がまえの問題じゃ。尻を触ることが善か悪か、その分かれ目がどこにあるかを考えたことがあるかな。京セラや今のKDDIを創業した稲盛和夫を知っとるか。ワシと同世代で、実業界の大スターじゃ。彼は、善と悪の分かれ目について、こういうことを言っておる。
「自己愛に終始した場合に悪をなし、他者を思うという愛に目覚めたときに善となる。善悪の分かれ目とは、自己を愛する『愛』と他を愛する『愛』のあいだにあるのです」
おぬしが尻を触りたいと思うのは、スケベ心という「自己愛」からじゃ。つまり、シリ私欲でしかない。身勝手なスケベ心を満たすために自分の大事な尻を気安く利用されたら、そりゃ不愉快じゃろう。尻にも失礼じゃ。お触りが非難される理由は、そこにある。肩が許されるなら尻もいいだろうというのは、まさに屁理屈でしかない。
ワシは違うぞ。年齢や容姿を問わず、すべての女人をかわいいと思う愛、すべての尻を美しいと思う愛、そんな気持ちで触っておる。「自己愛」を捨て去り、女人や尻という「他」への愛に突き動かされて尻に手を伸ばしたとき、その行為は「善」となるのじゃ。手のひらを通じて、あたたかい愛の輪が広がるのじゃ。
心配するな。尻は逃げやせぬ。いつかおぬしも、今とは違う気持ちで尻を触れるようになる日が来るじゃろう。稲盛は、こうも言っておる。「人生は心に描いたとおりになる。事をなそうと思ったら、まずこうありたい、こうあるべきだと思うこと」とな。おぬしも「息をするように自然に尻を触りたい、触っても怒られない男になりたい」という気持ちを忘れないことじゃ。応援しておるぞ。シリ滅裂な話で失礼した。ホッホッホ。
【今回の大人メソッド】どんな手前味噌な言い分でも言い切ると強い
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