突然、中国・韓国批判を始めた友人とどう付き合えばいいのか?

【石原壮一郎の名言に訊け】~ラ・ロシュフコーの巻~ Q:本当はいいヤツなんです。学生時代から仲良くしてきて、今も仲はいいつもりです。そんな友達が、いつの頃からか何かというと「だから〇〇人は」とか「△△人は本当にどうしようもない」なんてセリフを平気で言うようになりました。「〇〇」や「△△」には、ご近所のアジアの国が入ります。そいつから他人の悪口を聞いたことなんてないのに、外国人を憎々しげに批判しているのを聞くと何だか違和感があるし、寂しくもなります。どう受け止めればいいんでしょうか?(福岡県・28歳・製造業)

写真はイメージです。

A:ほんと、最近よく見ますよね。「ええっ、この人までそんなこと言うんだ!?」と面喰ったり悲しい気持ちになったりすることも、しばしばあります。今日の喫茶「いしはら」はとってもヒマで、カウンターにはこの界隈をウロウロしているトラネコのタマしかいません。しょうがないので、タマタマいるタマに聞いてみましょう。  そうなんだニャー、このごろ町内を歩いていても、その手の悪口があちこちから聞こえてくるニャー。もしかしたら、マナーを知らないとか習慣の違いで不愉快な思いをさせられるとか、そういうことはあるかもしれニャいけど、だからといってすぐに「だから〇〇人は」とレッテルを貼りたがるところが、情けないニャー。  おいらはトラネコだけど、もし嫌な思いをしたとしても「だからアメリカンショートヘヤーは」とか「だからアビシニアンは」なんてことは、恥ずかしくって言えないニャー。それが、トラネコとしての最低限のプライドだニャー。日本人である自分が大好きな人たちにとっての「日本人としてのプライド」って、よその国の人の悪口を言ったり日本を自画自賛したりして満たされるような安っぽいものなのかニャー。  そもそも悪口っていうのは、言われるほうに問題があるとは限らないニャー。『箴言集』で有名な17世紀のフランスのモラリスト文学者、ラ・ロシュフコーは、こんなことを言っているニャー。 「人が大部分の物事を称讃したり、くさしたりするのは、それらをほめ、それらをそしるのが流行だからである」  お前さんが「どう受け止めればいいか」っていうのは、難しいニャー。その友達はよっぽど辛いことがあるのか、自信を失うようなことがあったのか、悪口を言うことで自尊心を埋め合わせたいんだろうてことは、ネコのおいらにもわかるニャー。そんなみっともない姿をあたたかく見守ってやるか、ガッカリして距離を置くかはこっち次第だニャー。  ただ、もしかしたらお前さんも、人のことは言えないかもしれニャいニャー。ラ・ロシュフコーは、こんなことも言ってるんだニャー。 「我々が過ちを犯した人々を叱責するときの動機は、どちらかというと善意よりも傲慢によることの方が多い。つまり相手の過ちを正すからというより、自分だったらそんな過ちはけっして仕出かさないということを誇示し、優越感にひたるためにする」  近所の国の人の悪口を言うのも、そういう明らかに「ダメな行為」を批判するのも、一種の流行だし根っこは同じかもしれニャい。「友達にあれこれ言いたくなるのは、自分が弱っているからかもしれない」と受け取ってみるのも、大人の謙虚さだと思うニャー。

【今回の大人メソッド】悪口や批判の動機はたいてい恥ずかしいもの

 悪口や批判への意欲が高まっているときは、胸に手を当てて「本当の理由」を考えてみましょう。たとえ相手に非があったとしても、口汚く罵ったり偉そうに批判したりしていい理由にはなりません。たいていの場合、自分の側に「ちょっと恥ずかしい動機」があるはず。聖人君子になる必要はありませんが、そのみっともない構図は自覚しておきたいものです。 【相談募集中!】ツイッターで石原壮一郎さんのアカウント(@otonaryoku )に、簡単な相談内容を書いて呼びかけてください。 いしはら・そういちろう/フリーライター、コラムニスト。1963年三重県生まれ。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』(扶桑社)でデビュー。以来、さまざまなメディアで活躍し、日本の大人シーンを牽引している。『大人力検定』(文春文庫PLUS)、『大人の当たり前メソッド』(成美文庫)など著書多数。近年は地元の名物である伊勢うどんを精力的に応援。2013年には「伊勢うどん大使」に就任し、世界初の伊勢うどん本『食べるパワースポット[伊勢うどん]全国制覇への道』(扶桑社)も上梓。最新刊は、定番の悩みにさまざまな賢人が答える画期的な一冊『日本人の人生相談』(ワニブックス)