「ファストフード店の時給を1500円にしろ」は非現実的か? 世界の常識か?【後編】

⇒【前編】はこちら http://hbol.jp/35495
マクドナルド

公式サイトより

 生理的には苦手なプロの運動家のほうの味方をついしたくなったのだが、私なんか黙っていても、プロはプロであった。国家公務員一般労働組合執行委員で『国公労調査時報』編集者の井上伸氏が、<マクドナルドの時給1,500円で日本は滅ぶ? すでに30年実施してるオーストラリアは滅んでませんが?>という記事をすぐさまネットに流し、これも大勢の人たちに読まれた。井上氏は、売られた喧嘩上等とばかりにこう反論する。
<(OECDで)1位のオーストラリアの最低賃金の時給額をさかのぼって見ていくと、いちばん昔のデータが1985年で時給14.4ドル(時給1,699円)となっていて、そこから直近の2013年までずっと上がってきているので、ようするにオーストラリアは、ちょうど30年前の1985年からずっと最低賃金は時給1,500円以上なわけです。はて?「時給1,500円」以上をもう30年間も続けているオーストラリアという国は滅んでいませんが?>
 たしかにデータではそうなっている。ただ、オーストラリアの物価高は有名な話。たとえば<世界のビッグマック価格ランキング>というサイトを見ても、 日本370円に対して、オーストラリアは509円だ(日本は地域によって、オーストラリアは店舗によって価格差あり)。  最近出た新書『「おバカ大国」オーストラリア』でも、あの国の物価高と失業率の高さについて紹介されていた。文化も社会構造も日本とまるで違う国の最低賃金データ一発で、FPさんの記事に反論するのも、ちょいと乱暴すぎないか?  すると、やはりプロだ。井上氏はすぐさま次の記事を書いた。<エントリーに対して、「オーストラリアの物価は日本の倍近く高いのだから最低賃金も高くて当然だ」というような指摘がコメントやツイッター等で寄せられています>という書き出しで、自説をこう補強する。
<(個人資産保有額100万米ドル超の富裕者数を居住国別の率で表すと)アメリカが41%(1,416.6万人)と断トツですが、世界第2位は日本で8%(272.8万人)になっています。人口で見ると、世界トップ0.7%(個人資産保有額100万米ドル超)に属する日本の人口は2014年の272.8万人で、2013年の263.7万人から9万1千人増えています>
<ニューヨークタイムス紙も安倍政権が若い世代の雇用を劣化させたことで、未婚の成人の約40%は貯蓄ゼロになり、家族を持つ世帯でも30%が貯蓄ゼロで、それぞれ10年前から約10ポイント低下して、日本全体の貯蓄率が初めてマイナス1.3%まで低下したと下のグラフを掲載しながら安倍政権が「貯金箱を壊す」と報道しています>
<日本はオーストラリアより最低賃金は半分だけど、日本の富裕層はオーストラリアの2倍いる>とも。つまり今の日本は貧困大国で、富裕層と貧困層の格差拡大はますます進行しており、その状況こそが問題だというわけだ。格差問題、貧困問題の根っこには日本の最低賃金の異常な低さがある、というスタンスを崩さない。  これに対する中嶋FPの再反論は残念ながらないようだ。彼は先の記事で言いたいことを言い切っている感があり、井上氏の記事を読んでも「だから格差とか関係なく、最低賃金の大幅引き上げは無理なんだって」とつぶやく程度だろう。井上氏も中嶋FPがいくら論理的に、引き上げの非現実性を解いたところで聞く耳を持ちそうにはない。同じ賃金問題をどれほど真剣に論じても、彼らの議論はまるでかみ合わない。どうしてだろうか?  よって立つ位置によって、見える風景が違うからだと思う。分かりやすく言えば、中嶋FPは雇用者目線で賃金について考えている。対して、井上氏は、徹底して労働者目線、それも貧困層の目に映る世界を前提に話を進めている。議論を噛みあわせるには、両者が両方の目を持って、複眼的に問題と向き合う必要があるのだが、きっとそういうふうにはならない。たいていの論者というものは、結局、自分の立場に都合のいい発言しかしない。いわゆるポジショントークの域を出ないんだよな、と改めて思わされた一事例だ。  そして、以上の議論が交わされていた同時期に、日本マクドナルドのリストラの報が流れた。異物混入騒動などで業績の悪化が著しく、<全国約3000店舗のうち、業績回復が見込めない131店舗を閉鎖。契約期限切れなども合わせると、今年の閉店数は190店舗に上る。希望退職者を募集し、従業員数の削減も図る>とのこと。正社員の首を斬ろうという状況で、非正規社員のパートやバイトの貧困問題はお呼びじゃない。  それにしても、東京・渋谷では50人しか集まらなかった、あの突然のパフォーマンスはなんだったのか。主宰団体のサイトを見つけて読んだら、こう書いてあった。
<ファストフード労働者が小売大手のウォルマートやギャップの賃金が労働市場の最低賃金になっているという事実があり、一方多国籍資本が多額の利益を得ている。これはピケティではないですが、公正さを欠く、ということでファストフード労働者や小売業の労働者に公正な賃金を保障する、格差を縮小していくんだという運動が、アメリカを中心に多く展開されているのです> <昨年2014年の5月15日に全世界の同時アクションが呼びかけられまして、世界全米158都市、世界36カ国、93都市で行動が取り組まれました。日本でも以下(会見資料参照)に記載してある都市で展開されましたが、全世界でも36カ国で行動が取り組まれています>
 どうやら世界規模の反格差運動らしい。他の国でどれだけ盛り上がり、どれだけ効力を発揮しているかは定かじゃないが、貧困大国なのに50人しか集まらない日本の運動のしょぼさがやっぱり気にかかる。  中嶋FPは「1500円の時給をもらうにはそれに見合った仕事をすれば良い」と言っていた。この意見に賛同しているネットの声はかなり多かった。そう言う人の底流にあるものは、「信じられるものは自分の力だけ」という思いだ。そんなふうに思えない人は、「社会がおかしい」と訴えることもなく貧困化していく。それが日本の現状かもしれない。 <文/オバタカズユキ> おばた・かずゆき/フリーライター、コラムニスト。1964年東京都生まれ。大学卒業後、一瞬の出版社勤務を経て、1989年より文筆業に。著書に『大学図鑑!』(ダイヤモンド社、監修)、『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社』(朝日新聞出版)などがある。裏方として制作に携わった本には『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話』(ソフトバンク新書)、『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)などがある。