あきれるほど薄っぺらな上に見当違いな古谷経衡の「日本会議」論に反論する

古谷経衡氏の「日本会議」論

当初は、『巨大組織・日本会議』というイメージを私も抱いていた。しかし事実を積み重ねていけば、自ずと、日本会議の小ささ・弱さが目につくようになった」 「日本会議が大きいわけでも強いわけでもない」 (『日本会議の研究』むすびにかえて より) と、冒頭から引用、しかも自著からの引用で恐縮だが、本稿はここから進めたい。  過日、「『日本会議』は衰退するのか?──神社本庁全面敗訴の衝撃」という記事がニューズウィーク日本版に掲出された。古谷経衡氏によるものだ。  タイトルに「神社本庁全面敗訴」とあるのをみて、思わず「おお。さすが古谷経衡さん。あの地裁判決を見逃さず、『今こそ、田中―打田独裁体制を打破するぞ!』『打田―椛島アライアンスこそ諸悪の元凶!』と正義の鉄槌を下されたのだな」と胸が躍った。しかしどうもそうではないらしい。  そもそも古谷経衡氏は、先日判決のあった神社本庁を被告とする裁判の内容には一切立ち入っておられない。今回のあの裁判の争点となった例の宿舎の話や、オリンピック再開発の利権でドロドロした話の多い原宿近辺の例の土地の話などにも触れておられない。単に、あの判決が報じられた際にSNSで「バズった」、「日本の国体」なるタームを中心に議論を進めることに終始しておられる。例の宿舎の土地取引の話は現場取材を重ねなければ書けぬし、当の地裁判決にしてもその詳細を論じようとすれば、あの百ページ近い判決文を読み込まねばならない。さらには書くのであればあの判決文に出てくる数多くの個人や企業に取材せねばならないだろう。  その代わりに古谷経衡氏は、選挙データの解析と自分の思い出話を織り交ぜ、自室に居ながらにして珠玉のような論考を展開された。神社本庁をめぐる今回の裁判や一連の土地取引や寮内のあれこれの事件を取材するため、現場に通い、会い難い人に会い、時には怖い思いをしながら話を聞きという作業を2年重ねても、まだ1行も書けぬ私のような歩幅の狭い人間には到底叶わぬ芸当だ。そしてこの古谷経衡氏の論考で、私はどうやら下手人扱いをされたようだ。それも取材ばかりにほっつき歩き、編集者に「早く書け」と怒られながらも「自分の思いつきか個人的経験だけで、原稿を書くわけにいかん」と遅筆にあぐらをかく私の愚鈍さゆえだろう

そやから「日本会議なんて小さい」って言うてますやん

 古谷氏はいう。 “冒頭で述べた菅野氏の『日本会議の研究』によって日本会議が第二次安倍内閣や自民党の保守系議員の黒幕になっている―、という説は実しやかに唱えられてきたのは事実である。しかし、筆者は永年保守業界にその居を構え、いまや保守業界と合体した所謂ネット右翼の動静をつぶさに観察してきたが、日本会議の影響力はまったく大きくない、というのが正直な実感である。よって『日本会議の研究』で描かれた日本会議像は、よく調べられているとはいえ、かなり日本会議の存在を極大化して捉えているきらいがある、と思うのである”  なるほど、2016年に上梓した拙著『日本会議の研究』は二十万部売れたため、その読者の中には、「日本会議の存在を極大化」と古谷経衡氏が解釈するような御仁もおられるのだろう。  しかしかくてお白洲に引き出された下手人としては、申し開きをせねばなるまい。「古谷経衡さん、ちゃんと読んでください。そんなこと、僕の『日本会議の研究』には1行も書いてません。書いてないことを書いてるかのように言われても困ります」  拙著は「日本会議の存在は大きい」と主張するどころか、冒頭に引用したように「日本会議は小さく弱い」とさえ言い切っている。また、『日本会議の研究』の後に発表した数々の対談本(その対談本の中には、古谷経衡氏との対談も含まれる。ちなみにその対談をまとめて幻冬舎プラスから刊行している電子書籍のタイトルは『日本会議とネトウヨ、中身は空っぽ』である)の中や、雑誌原稿の中では、「そもそも、日本会議などという組織が大きな組織力を用いて政治参画していると考えるのは間違いだ」「宗教の政治参加と聞けば公明党=創価学会のパターンを想起しがちだが、大量票そのものでインパクトのある政治参加できる団体は、創価学会だけ。日本会議を創価学会のように考えてはいけない」と繰り返し述べてきた。しかしこれらの主張は、古谷経衡氏のお目には届かなかったらしい。いや、直接の対談でもそう申し上げたのだから、目どころかお耳にさえ達しなかったのだろう。
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「古臭い運動」しかできないからダメなのか?
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