あきれるほど薄っぺらな上に見当違いな古谷経衡の「日本会議」論に反論する

古臭い運動の「有効性」

 また古谷経衡氏は、 “一方日本会議はというと、神社本庁を筆頭とする中小の所謂「宗教右派」の集合体であるとみなされ、草の根的全国組織を有するものの、その会員間の通信手段は21世紀が10年を過ぎた当時でも相変わらず、機関誌や封書、或いはFAXといった旧態依然としたツールしか持ちえず、保守界隈の多くやネット右翼からは「時代(インターネットという新ツール)に対応できない近代化の遅れた旧い組織」としてあまり見向きもされなかったのが、率直な観察であった。” という。  しかし、地を這いつくばり紙を一枚一枚めくり、インタビューを文字起こしすることに明け暮れ、自己の体験を論拠にするという愚行と距離を置くために客観的エビデンスを一つでも多く集めることに時間を割くあまり1行たりともかけぬという愚鈍な身からすれば、「ネット全盛の時代に、ファックスと葉書とは(笑)」とのご述懐は、少しこの目に映る光景と違いすぎる。  例えば教科書運動、例えば男女共同参画事業、例えば外国人地方参政権、例えば学校における国旗掲揚国歌斉唱などなど、私が取材し話を聞く地方自治体の現場の人々は、山と寄せられる葉書やファックスの山にこそ頭を抱えておられる。Twitterのハッシュタグがいかにバズろうが、匿名掲示板でいかに話題になろうが、それらは畢竟、みなければ済む話だ。しかし、ファックスも葉書も、担当者の自席に積み上げられれば、無視ができない。ネットのナウい人々から馬鹿にされようとも、日本会議はそれを承知でこうした泥臭い運動を続けている。そしてその運動手法は古典的で古臭く泥臭いからこそ、現場で威力を発揮している。  具体例で説明しよう。  昨年の教科書採択で、日本会議が「日本教育再生機構」というフロント団体を通じて推す歴史教科書の採択結果は「ほぼゼロ」と言っていい結果に終わった。大激減である。80年代初め頃から始まり、「新しい歴史教科書をつくる会」の騒動で話題になり、「つくる会」の分裂など様々な紆余曲折を経てきた日本会議の教科書運動は、これでほぼ頓挫したこととなる。(最近の若い人はご存知ないだろうが、「つくる会」はそりゃまあ、当時、世間を風靡したんですよ。結局のところ、小林よしのりも西尾幹二も日本会議におもちゃにされてたことに気づいて離れていったんですけどね)  しかしここで考えねばならないのは、「なぜ、日本会議のおす歴史教科書の採択が、突如、ゼロに近い結果になったのか」と言うことである。  教科書採択のたびに、日本会議は、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本教育再生機構」を通じて、地方自治体・各地の教育委員会に旺盛な運動で迫り、採択を実現してきた。しかし、なぜそれが頓挫したのか? という問いである  答えは極めて簡単である。「今回は、ファックスや葉書を書く人がいなくなってしまった」のだ。  日本会議=日本教育再生機構が「葉書やファックスの運動の古臭さを自覚したから」でもなんでもない。もっと単純で単純だからこそもっと深刻な理由だ。。従業員に全国各地の学校と教育委員会に教科書採択するための投書を大量に書かせていた大阪の某不動産会社や、保護者に同種の葉書を書かせていた大阪の某幼稚園が、それぞれ従業員との裁判や土地取引疑惑によって、運動の前線から撤退を余儀なくされた側面が大きい。そしてその某不動産業者の裁判や、某幼稚園の事件により、「葉書やファックスは運動によるもの」との認識が、各地の自治体担当者に共有されたことが大きい。  このことはむしろ、「葉書やファックス」という古典的な手法が「効く」ことを雄弁に物語っている。葉書やファックスを書く人がいたわずか数年前(それは古谷経衡氏がまだネトウヨだった頃だ)は教科書が採択され、書く人がい亡くなった今回は採択の成績が振るわなかったのだから。  葉書、ファックス、署名、デモ、座り込みなどなど、「古臭い運動」は、効くのである。効くからこそ、日本会議はそれを繰り返しやっており、効くからこそ、彼らは自分の政策課題をことごとく法制化してきた。「ネットを駆使する」ネトウヨが、自らの政策課題を法制化し得た事例は寡聞にしてか見つけることができないが……。  拙著のポイントもそこであった。日本会議は小さい。しかしその事務局たる極右団体・日本青年協議会は、長崎大学学園正常化運動に端を発し、その後、靖国国家護持運動・元号法制定運動で培った古典的運動ノウハウを内面化しており、その運動ノウハウの巧みさによって保守系政治家に多大なる影響力を行使し、とりわけその運動は、東京ではなく地方の議会等で成果を生んでいる… というのが、拙著の骨子の一つである「日本会議の強さ」のポイントだ。

最近も見られた「日本会議」的古典的手法

 さらに日本会議の古典的な運動手法が成功を収めつつある事例を見てみよう。  先日、丸川珠代氏をはじめとする自民党の保守派政治家複数人が、地方議会に対して、「選択的夫婦別姓に賛成する決議案が上程された場合は各議会で反対に回るように」との書簡を出したことが話題になった。これも日本会議の運動の典型例である(『日本会議の研究』第四章参照)。  元号法制定の頃から、日本会議はあらゆるイシューで、「地方議会における意見書の採択→署名集め→東京での中央大会→自民党の政治家を靡かせる」という手法で、自分たちの政策課題を実現させてきた。この「ノウハウ」の精緻さにこそ彼・彼女たちの強みがあるのだ。例の「選択的夫婦別姓に反対するように」書簡を出した議員連盟の会合には、幹部として、衛藤晟一議員が参加していることが確認されている。衛藤晟一こそ、大分大学在学中に生長の家の信者として右翼学生運動をスタートさせ、日本青年協議会幹部となり、「生長の家原理主義運動」の帰結として総理補佐官まで上り詰めた、「日本会議ど真ん中」の人物であることを忘れてはなるまい。  丸川珠代の一件で露見した「選択的夫婦別姓に反対する自民党の反動政治家たち」は、衛藤晟一ら日本会議中枢の政治家たち運動家たちの指導よろしきを得て、日本会議の得意とする古典的運動手法を忠実に展開しているのだ。
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ネトウヨ200万人が踊るオタ芸の振付師は誰なのか
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