呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ

「現実主義的」反歴史修正主義者

 呉座勇一の歴史修正主義ツイートは、主に日本軍「慰安婦」問題に関するものだった。「慰安婦」の性奴隷制を否定するものや、直近では、国内外の研究者によって学術的な欠陥が指摘されているマーク・ラムザイヤーの「慰安婦」は性奴隷ではなく商行為だったとする論文を支持するツイート複数にいいねをつけていたことがわかっている。  呉座勇一が歴史修正主義に共感的だったことが衝撃的であるのは、彼が歴史の専門家だったからだけではない。呉座勇一は確かに保守的な歴史家だとみなされていたが、一方では井沢元彦と論争し、百田尚樹の『日本国紀』を公然と批判するなど、歴史修正主義と積極的に対決してきた歴史家だともみなされていたのだ。  ただし、その反歴史修正主義の立場には留保がつく。呉座は日本人が誇りを持てる「国民史」の構築については、むしろ支持する立場を取っている。前川一郎、倉橋耕平、辻田真佐憲との共著『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社、2020年)で、呉座は第四章を担当し、網野善彦が「新しい教科書をつくる会」の活動に一定の共感を示していたことに触れている。呉座によると、網野善彦は日本に「国民史」の物語が存在しないことに危機感を持っていた。ナショナリズムに敵対的だと考えられている網野の後年の著作は、むしろナショナリズムと親和的な要素がある。  呉座は網野善彦に学べという。歴史修正主義者の歴史観は、その分かりやすい筆致とキャッチーな宣伝戦略によって、歴史学的な素養はないが歴史を知りたい一般の人々に娯楽として広まっていく。呉座によれば、それに対抗できる「正確で面白い、もっと売れる通史を書け」る唯一の歴史家が網野善彦だった。こういった仕事は、実証主義という「象牙の塔」に引きこもっている歴史学者には不可能なのだ。ナショナリズムを恐れず、日本が行ってきた負の歴史を否定する歴史修正主義者の議論を浸透させないためにも、過去を反省しつつ一定の誇りを持てる歴史観を「現実主義」として歴史家は提示するべきだ、と呉座は主張している。呉座自身は、それを「物語」と呼ぶことに慎重な姿勢を示しているものの、巻末の座談会では、歴史には物語が必要だと主張する辻田真佐憲にはっきりと同調している。

問題は差別主義

 とはいえ、こうした歴史修正主義に対抗するためにナショナリズムを利用しようとする、「右的なもの」への警戒心が薄い呉座の姿勢そのものからは、彼自身が歴史修正主義になってしまった理由を導き出すことはできない。彼はこの本で、一貫して過去の侵略戦争や植民地主義については反省すべきだという立場をとっている。歴史家は実証主義の中に閉じこもっていないで、もっと一般読者向けの通史を書くべきだという主張も、各論としては頷ける。  もっとも、こうした主張をしているのが呉座勇一だというのは、奇妙といえば奇妙だ。というのは、呉座勇一自身がテーゼなき実証主義の象徴とみなされることが多かった歴史家だからだ。歴史家の東島誠は、まさに呉座勇一の『応仁の乱』(中公新書)のベストセラー化を評して、「もはや歴史学には〈ものの見方〉など求められていない、のだとすれば、これはこの業界にとってかなりヤバい、危機的状況なのではあるまいか」と述べている。(「なぜいま、「幕府」を問うのか?」)  事件の発端が亀田俊和のネトウヨ的ツイートだったことを踏まえると、ここで東島が若手歴史研究者の右傾化に言及していることは興味深いが、『教養としての歴史問題』を読む限り、くしくも当の呉座自身が、歴史家の歴史観のなさという東島と同じような問題意識を背負っているようにみえてしまう。  本題に戻ろう。さて、なぜ呉座勇一は歴史修正主義に陰で同調してしまっていたのか。ポイントは、彼がはっきりと修正主義者として振る舞っていたトピックが、日本軍「慰安婦」問題だったことだろう。  呉座勇一は、数々の女性に対する中傷ツイートからわかるように、女性に対して強い差別感情を持っていた。その根深さは、彼自身が「私の偏見は今さら矯正できないかもしれません」と謝罪文の中で認めている通りである。また性差別以外にも、民族マイノリティに対する差別や、「嫌朝」「嫌韓」ムードへの同調も、過去のTwitter履歴から発見されている。つまり、彼は歴史家としてではなく差別主義者として歴史修正主義に同調したのではないだろうか。  日本軍「慰安婦」問題は、歴史修正主義言説の中でも特に差別主義が強く表れる。たとえば、ラムザイヤー論文にもみられる娼妓契約の人身売買性の軽視は、「身体を売る女」に対する通俗的な蔑視感情が反映されているのだ。  もちろん歴史家としての立場上、著書やメディアのなかでは呉座勇一はそうした態度をあからさまにすることなく、ソフトな印象を与える人物として振る舞うことができていた。しかし、Twitterの鍵アカウントでは、クローズドな場である安心感からか、差別主義者としての本性をストレスなく開陳してしまったのだろう。もちろん鍵アカウントとはいえ、そこはなお4000人の集団に見られている場である。「陰謀実行」には「参加者の限定」が必要だと自分自身で述べているように、4000人もいれば、彼が何をやっているか、鍵の外に漏れないはずがないのだ。
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歴史修正主義は「無知」が原因ではない
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