――ちょっとしたコミュニケーションから、いろんな物語が生まれていきますよね。古着屋でお客さんが告白の勝負服を選んでいて、「(告白に)失敗したらあんたのせいだから」とか、ライブハウスの喫煙コーナーで、「煙草、一本もらえますか」とか。それは必要に迫られてのコミュニケーションではなく、あくまで偶発的に生まれていくところが面白いと思いました。
「必要に迫られて」とおっしゃられましたけど、必要性から逆算して作っていくと、どうしても作りものくさくなる感じが自分の中にあります。……まあ、とはいえ、普通はそのように物語を作るものだとは思うんですけど、私自身のアマノジャクな気質もあって、いわゆる王道のやり方から、少しずつずらしていくんです。
ひとつには、出会いのセオリー。この人はこう登場したんだから、ストーリーにこういう影響を及ぼすだろうといったこともずらしています。たとえば序盤、青がライブハウスで出会う女性はどことなくヒロインっぽい登場の仕方をしますよね。実際、そう見えるような撮り方もしている。でも再登場はしない。
その反面、冒頭の古着屋のカップルは出オチ的なもので、一度出てきたらもう出てこない雰囲気ですけど、終盤にまた登場したりする。明確な理由があって、ではなく、たまたまそこにいたからそうなったというような、あくまで偶然そこにいたという現れ方のほうが現実味が増します。
逆に言えば、私は作りものに対する許容範囲がめちゃくちゃ狭いんです。作りものっぽく見える要素をなくしていきたいのです。
一方で、「笑い」に対しても強い思い入れがあります。『街の上で』でも警官と青のやりとりとか、ちょっとした会話が面白いと言ってくれる人もいますけど、これは、「ここ面白いでしょ?」という類の笑いではないんですよね。会話している当人たちは別に面白いことをしようとしてわざとボケているわけではなく、いたってまじめにやりとりをしているはずなんだけど、それが外から見ると、いつのまにか笑いに転じている。そういう笑いの撮り方は意識的にやっています。
――本人たちにとってはまじめだけど、お互いの認識のずれが笑いを生んでいくのが面白いですね。たとえばウディ・アレンの作品なども連想するんですけど、そういった作劇の根底にある作品、また監督についてお教えいただけますか。
一番はやっぱり山下敦弘さんですね。『リンダリンダリンダ』(2005年)とか初期の作品もそうですし、私自身が、山下さんがやられていた俳優ワークショップを一時期、手伝っていたことも大きいです。物語の作り方においては、ドラマ=葛藤という言葉があります。つまり、主人公には何らかの障害や壁があって、それを乗り越えて、人間として成長するというのが脚本のセオリーとしてあるんですけど、山下さんはご自身のノートに「ドラマ=気まずさ」と書いていて。それがとても印象に残っているんです。自分が生み出したい笑いの本質をついた言葉だなと思っていて。いま日本映画って自然な笑いを誘う作品が本当に少なくて、作れる人も少ない。あからさまな「面白いでしょ?」じゃない笑いが含まれた映画を作っていきたい意識はあります。
(c)「街の上で」フィルムパートナーズ
ただ、コロナ禍の中で、「笑い」の意義について改めて考えるようになったのも事実です。(一度目の)緊急事態宣言の影響で映画館もしばらく閉まっていましたけど、再開後、シネコンで福田雄一監督の『今日から俺は!!』(2020年)が大ヒットしましたよね。私も子どもと見に行ったんですが、「なるほど、今求められているのはこういう作品だよな……」と思ったんです。『今日から俺は!!』は「笑い」に対しては確信犯的で、いわば「面白いでしょ?」に振り切った作品ではありましたけど、暗い世相の中では、むしろこういう作品の方が必要なんだなと。自分の作るものがそちらに移行できるかといえば難しいですが、自分の立ち位置についても少し逡巡するようにはなりました。
――なるほど。ただ『街の上で』は受動的に笑わせられるだけではなく、人間同士の関係性の機微について、観客に考えさせるところもありますよね。大きいのは友情と恋愛感情の違いで、劇中では、付き合うことによる距離感の変化についても話されていますね。
チラシのコピーを考えた時、「恋人を失って、友達ができた」という案もありました。友だちって、よくわからないんですよね。極端な話、恋人は「つきあってください」「はい」ってなる感じですけど、友だちってなろうと言ってなるものではないので、作り方がわからない。特に異性の場合はそう。終わってみたら古本屋の田辺さんも、青に対する恋心を抱いていたんじゃないかと感じたりもしますし、友情なのか恋愛感情なのか、あやふやな感情がいくつも存在する。恋愛でいうと、一緒にいて落ち着くほうがいいのか、一緒にいてどきどきするほうがいいのか、よくそういう話になったりする。そこに正解はないですけどね。
――登場人物の名前から、想像が広がるのも面白いです。青の場合、劇中で登場するカーテンの青にもつながりますし、青春の青かも、と想像ができます。雪と冬子とか、劇中の女性たちの名前が対になる感じも興味深いですね。
主演が若葉竜也さんになった時点で「青」は決めていました。というのは、『愛がなんだ』での若葉さんの役名が、まったく同じ「青」と書いて「せい」だったんですね。(雪役の)穂志もえかさんや(友情出演の)成田凌さんも『愛がなんだ』に続いて出ていただいていて、続編みたいな空気があったので、若葉さんの役名も統一したほうがいいかなと。ちなみに若葉さんに決まる前までは、荒川土地男(トチオ)という名前を考えていました。
女性の名前は意識しています。雪については、漢字の「雪」を使うのは今回がはじめてでしたけど、ゆきという名前を付けるのはこういう人とか、自分のルールがいくつかあります。冬子についても自分なりの意図はありますけど、今回は下の名前の「冬子」ではなく、田辺さんと呼ばれるとか、細かい設定にはこだわっていますね。試写とか上映で嬉しかったのは、「登場人物の名前を覚えた」という感想です。特に初対面の青を家に泊める、大学生の城定イハは特殊な名前にしたので、そこから引っ張られてほかの人の名前も覚えやすいのかなと思いました。誰かの名前を覚えると、みんな覚えていく。
――ちなみに、「城定イハ」はどこからとったのでしょうか。
城定は城定秀夫監督(作品に『アルプススタンドのはしの方』など)からとって、イハは『リンダリンダリンダ』で音楽を担当されていた、ジェームズ・イハさんからですね。好きな人や好きな響きからつけました。『mellow』(2020年)の「木帆(きほ)」というヒロインの名前も、リズムと響きからですね。
自分にとって身近な、たとえばつきあったことのある人からつけることはあまりないですね。ただよく使う名前というのはあって、朝子とか町子とかがそれです。町子は今回も出てきて、この名前は小津安二郎も使ってるけど、ちょうどいいんですよね、可愛さが。
――観客に伝えたいメッセージなどはありますか。
特にないんですよね。本作に限らず、私はメッセージゼロ推進運動中というか……(笑)。ただ、人間は別に成長しなくてもいい、ってことは伝えたいかも。そういうことについて、『愛がなんだ』で気づいた部分があって。もちろん、主人公が挫折から成長して何かを得たり、大きな変化があると自分も頑張ろうと影響されることはありますけど、なんか私の生理や興味として、そういう映画は別に作らなくてもいいかな、と。最後まで特に成長しないダメなままの主人公を描ければ、観客の皆さんもありのままでいいんだと思える。通常だと主人公になり得ない人にも人生があって、だから当たり前ですけど主人公になり得るんですよね。今回も誰も何も頑張らず、うまくいかない人が大量に出る映画なので、ただ娯楽という感じで見てもらえれば幸せです。理想はポップコーンとビールが似合う映画。ただただ笑えれば、っていう気持ちはいつも忘れずにいたいです。
<取材・文/若林良>
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。