動画で見る限り、”他山の石”と発言した際の二階幹事長は、自信に満ち溢れている。あれほどの自信は、黒いものを「白である」と言い張る欺瞞からは決っして生まれるものではない。心底あの事件を「他人ごと」と思っていなければ滲み出てこないはずだ。
おそらく二階幹事長にとって、河井克行買収事件は、実際に、”他山の石”なのだろう。
「そもそも、河井克行の妻である河井案里を、すでに自民党の現職参議院議員がいる参議院広島選挙区に立候補させ地元の市議や県議を分裂状態に追い込んだのは、
安倍晋三と菅義偉のゴリ押しがあったからである」という意味でも、「買収原資を拠出した最終決裁権限者は、当時の自民党総裁である安倍晋三だ。自分ではない」という意味でも、二階幹事長にとって”他山の石”なのだ。そう解釈すれば、あえてあそこで”他山の石”という故事成語を使った二階幹事長の凄みが透けて見える。
「
責任は安倍晋三と菅義偉にある。俺はあんなバカなことはしない。自民党の仕切りを俺に完全に任せろ。俺が仕切る新生・自民党は安倍時代の自民党とは違うものだ」と言っているのだから。
しかし二階幹事長は大事なことを忘れている。確かに河井克行買収事件は、二階幹事長にとって、自民党内の権力争いにおける”他山の石”なのではあろう。だが、有権者にとってはそうではない。自民党内のヘゲモニー争いなど関係ない有権者にとって河井克行買収事件とは、時の総理のおぼえめでたき候補者が選挙にあたって売買収に手を染めたという事件であり、しかも法の番人たる法務大臣が公職選挙法を違反を犯していたという事件であり、日本の選挙制度、いや政治風土そのものを根底から毀損する事件なのだ。その風土の中で生きる有権者としては、”他山の石”などと鷹揚に構えている余裕はないのだ。
もし二階幹事長が、日本の選挙制度、日本の代議制民主主義を根底から汚損した今回の事件全体を”他山の石”とするのならば、いかに党運営から安倍氏の影響を排除したところで、二階幹事長も自民党政権そのものも”
よく終わりあるは鮮なし“の末路をたどるに違いあるまい。
<文/菅野完>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『
日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(
sugano.shop)も注目されている