『シン・エヴァンゲリオン劇場版』はいかに「オタクの呪縛」と向き合ったのか<ネタバレ注意>

コミュニケーションの先にあった「贖罪」

 庵野監督は、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の製作後にうつ病となった。これは妻の安野モヨコによる、株式会社カラーの歩みを比喩表現で描いたマンガおよびアニメ「大きなカブ」でも「ひどいケガ」として示されたものだ。  『シン・エヴァンゲリオン劇場版』における農作業のパートは、この「大きなカブ」と同様にアニメ製作現場のメタファーとしても捉えられる。そのアニメは、1人では作れない、コミュニケーションがなければ完成し得ないもの。コミュニケーションは『エヴァンゲリオン』の作品の根底にあるモチーフでもあり、今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でもアヤナミレイ(仮称)が「おやすみ」「さようなら」などコミュニケーションの手段を1つずつ知っていくことになる。  今回のシンジが、アヤナミレイ(仮称)のように農作業をいきなり手伝うのではなく、あくまで「ケンスケの手助け」「魚釣り」という「できる範囲」から始めているというのも、うつ病からゆっくりと回復していく庵野監督のコミュニケーションの歩みのように思える。  同時に、このシンジが回復をしていく過程は庵野監督からの「贖罪」でもあるのだろう。前述した通り、庵野監督は自身の作品が熱狂的な支持を得ており、そのためにオタクたちが現実逃避をしすぎてしまっていないかという、危機感を明らかに持っている。それを、ほとんど悪意のような形で示したと言える『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版Air/まごころを、君に』、および再び受け手を良くも悪くも混乱の渦へと叩き落とした『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を製作したことの罪悪感も、庵野監督にはあったのではないだろうか。  それでも、オタクたちは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を待ち続けていたし、実際にたくさんのお客が訪れ、賞賛の言葉を浴びせている。劇中でシンジが「なんでみんな、こんなに優しいんだよ!」と叫ぶのは、庵野監督の「いろいろなことがあっても、それでも自分の作品を好きでいてくれたファン」への、素直な気持ちそのものなのではないだろうか。  そのような庵野監督の来歴があってこそ、最後に『エヴァンゲリオン』を観てきた人を、「現実」へと送り出すラストに、大きな感動があったのだ。誇張なしに、ここまでのメタフィクション的な読み解きが根底にあり、そして「オタクの呪縛」を解いて、見事に受け手を「卒業」へと導いて完結したエンターテインメントは、二度と誕生しないのではないか。   その庵野監督は『エヴァンゲリオン』という作品のテーマについて、「アニメファン(自分自身)の持つコンプレックスを考えて、何が『幸せ』なんだろうか。どうしたら『幸せ』になれるのだろうか」と語っていたことがあった。自分自身およびオタクたちの幸せを真摯に考えた結末としても、これ以上のものはないだろう。  歴史的な作品となった『エヴァンゲリオン』という作品及び庵野監督に、今一度、こう告げたい。「ありがとう、そして、さようなら、全てのエヴァンゲリオン」と。 <文/ヒナタカ>
雑食系映画ライター。「ねとらぼ」や「cinemas PLUS」などで執筆中。「天気の子」や「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる記事がおすすめ。ブログ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」 Twitter:@HinatakaJeF
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