間近で目にした般若やKOHHのカリスマ性。自身の限界を悟って就職の道を選んだラッパー、アスベスト<ダメリーマン成り上がり道 #40>

 戦極MCBATTLE主宰・MC正社員が、MCバトルのシーンやヒップホップをビジネスやカルチャー面から語る本連載。今回は、MC正社員の古くからの盟友である元ラッパーのアスベスト氏との対談の第二回。アスベスト氏のラッパー人生を振り返りながら、ラッパーを本業とする道を諦め、就職に至った経緯を聞いた。

銀行に就職も、退職して「本業:ラッパー」に

MC正社員氏(左)とアスベスト氏(右)

MC正社員氏(左)とアスベスト氏(右) <撮影/古澤誠一郎>

 MC正社員(以下、正社員):「アスベストはいつからラップを始めたの?」  アスベスト:「クラブでライブをはじめたのが19歳のころだから、2004年くらいかな。それで2005年のUMBでMCバトルの存在を知って、『すげえ面白い』と思って、2006年からはライブをしつつバトルにも出るようになりました」  ――アスベストさんは大学卒業後、一度は銀行に就職したんですよね。  アスベスト:「最初に就職したのが銀行でしたね。ただ当時は『社会人としてしっかり働くこと』『ラップに本気で取り組むこと』の両方が中途半端な状態で。  僕の家は親がメチャクチャ厳しかったので、本心ではラップ一本に絞りたくても、そっちの道に進む決断が最初はできませんでした。そして中途半端な気持ちで就職をした結果、会社では全然使えない社員になっちゃいましたし、銀行はホントに半沢直樹の世界なので、仕事に身が入ってない僕はメタクソにやり込められました」  ――でも大学新卒の就職先として、銀行は「勝ち組」に入ると思います。  アスベスト:「僕が就職した時期はリーマンショック前の超売り手市場だったし、銀行もメガバンクじゃなく地銀だったので、そうでもなかったです。そのころは銀行も大量採用していたので、ある意味で駆け込み寺みたいになってた気もします」  ――とはいえ、やり込められても耐えて働き続ければ、定年まで勤め上げられる安定した就職先ではないでしょうか?  アスベスト:「それはそうだったと思います。でも僕は『ラップを仕事にするなんてとんでもない。そんなイバラの道を選ぶのはバカのすることだ』と親に言われて就職をして、実際に働いた結果として『普通にサラリーマンを続けることもイバラの道じゃん』と感じたんです。  最初は銀行員の仕事をしながら、夜にライブをしていましたが、『同じイバラ道なら好きなことに専念したほうがいいな』と思って、3年ほど勤めたあとで銀行は退職しました」  正社員:「そのあとは警備員の仕事をしてたよね」  アスベスト:「そうだね。バイトをしながらラップを続けてました。それで日本語ラップのシーンで僕の名前が少しだけ広まったのが、2010年のUMBの東京予選だったのかな」  正社員:「優勝が晋平さん(晋平太)で、準優勝はアスベスト、ベスト4がZORNRUMIだった大会だね。そのあとアスベストはKENさん(KEN THE 390)のイベント『超・ライブへの道』に出演したり、アルバム(1st『産廃ロンダリング』)も出したりしたんだよね」  アスベスト:「それが2010年~2011年頃ですね。そうやって活動を続けるなかでは、般若さんに曲を気に入ってもらえて、2014年にはアルバム(『#バースデー』)へのフィーチャリングでの参加と、般若さんワンマンライブ(2014.9.15 日比谷野外音楽堂)への出演もできました。  それが28歳のころだったんですけど、僕は『30歳までに食う見込みが立たなかったら就職しよう』と決めていて、結果的には般若さんと仕事をしたことが、僕がラップで食べていくのを諦める一番のきっかけになりました」

般若やKOHHに間近で触れてラッパーの道を断念

 ――般若さんのライブやアルバムへの参加は、大きく売れるためのチャンスだったと思うのですが。  アスベスト:「僕としては2010年のUMBの東京予選以降、本当にジワジワとですが右肩上がりに仕事は増えていて、自分の活動にも手応えを感じていました。それが『本当にラップで食っている人』である般若さんと仕事をしたことで、自分の努力の足りなさとか、才能やカリスマ性のなさに気づかされて、『この差の開きはちょっと大きすぎるし、2年で埋めることは無理だな』と感じたんです。  それで『もうラップは趣味にして就職しよう』と思って就職をして、働きはじめたら『仕事でも自分は満たされるかも』と感じて、毎日の忙しさに追われるうちにラップは自然とやめていった感じでした」  正社員:「『般若さんみたいになるのは無理だ』って話は、俺も当時アスベストから聞いてたんですよ。あと、今考えると凄いのが、その2014年の般若さんのライブにフィーチャリングで出たゲストって、アスベストとKOHHだけなんですよ。この並び、ヤバくないですか? 世界のKOHHとアスベストですよ!」  アスベスト:「あと西成さん(SHINGO☆西成)も出てたね」  正社員:「そうだったね。楽屋ではアスベストとKOHHとZORNくん(当時、般若主宰の昭和レコードに所属)が並んでてヤバかったな」  アスベスト:「ヤバかったね。KOHHくんは雰囲気もめっちゃアーティストで、楽屋にいるときの佇まいから『物が違うな』って感じでした。全然緊張もしていないように見えたし、『こういう人がアーティストとして大成するんだな』と感じましたね。そして僕にはZORNくんや西成さん、KOHHくんに追いつけるビジョンはまったく見つけられませんでした」
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アルバムが完成するも、音楽活動は意外な展開に
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