49人の写真家が追った、東日本大震災から10年。決して忘れてはならない悲しい記憶と復興への“絆”

10年経ってもまったく終わっていない

東日本大震災

ガソリン不足で自動車が使えなくなった町では、食料や水を求めて人々が歩き続けていた(2011年3月17日、宮城県気仙沼市=撮影/桃井和馬)

 東日本大震災は、10年がたった今でもまったく終わってはいないのだ。多くの人が大切な人を失い、過去の思い出も失った。その深い痛みを忘れず心に受け止めると同時に、震災復興の過程で新たに生まれた人と人のつながりを、さらに大事にしていかなくてはならない。
東日本大震災

2011年3月12日14時40分。福島第一原発1号機の排気筒から、ベント(排気)作業と思われる白煙(水蒸気)が出ていることを確認。1号機建屋は、これから約1時間後の15時50分に爆発=福島県双葉郡上空(撮影/石川 梵)

東日本大震災

津波にのまれた妻の遺体が発見されたのは地震から2日後。妻を前にした夫は「ウオーッ」と叫び声を上げてしがみつき、何度も泥のついた頬を擦り寄せた。「子供らは、俺がちゃんと育てっからな」。妻の顔をぬぐいながら、そう話しかけた。後日、彼からこう連絡があった。「本当に、何も残っていないんですよ。この写真だけが、私たち夫婦の唯一の記録なんです」(2011年3月13日、宮城県南三陸町=撮影/野澤亘伸)

東日本大震災

原発事故で帰還困難区域となり、いまだ高汚染地帯の津島地区。天然記念物のニホンカモシカが民家に入り込んでいた(2019年12月、福島県浪江町=撮影/森住 卓)

<文/北村土龍> ※週刊SPA!3月9日発売号より
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東日本大震災から10年 災害列島・日本

49人の写真家が伝える“地球異変"の記録

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