病院、公園、保健所。公的サービスを縮小してきた維新
では、どうして「放棄した」と書かれているのに、一部の人々が「壊される」と感じてしまったのでしょうか。それは
大阪維新の会がこれまでたくさんのものを壊してきたからに他なりません。
例えば、「
市が運営する病院と府が運営する病院は1つでいい」と言い出して廃止することにした「
住吉市民病院」は、地域に根差し、大阪市南部で出産や子供の入院ができる数少ない病院だったにもかかわらず、
住民の都合とは関係なく、大阪維新の会の『思想』が優先される形で、病院がなくなってしまいました。その後、住吉市民病院の機能を大阪府立病院で引き継ぐことになったのですが、子供の入院を断られてしまうケースが続出。結局、
住吉市民病院の機能が十分に引き継がれることがなくなり、子供の命や健康が脅かされることになってしまったのです。
あるいは、
民間企業が管理するようになった大阪城公園では、
自然よりも収益が優先されるようになったため、
有料の遊び場を設置するために1200本の樹木が伐採されて、これでは
「身を切る改革」ではなく「木を切る改革」だと批判を浴びたこともありました。無料の遊び場は滑り台が故障したままで放置されているのに、有料の遊び場を作るためなら1200本も公園の木を切ってしまう。これは大阪市から民間企業に管理者が移行したために起こっていることですが、こうした大阪維新の会の”実績“が、大阪維新の会がやってきたプラスの政策だけでなく、マイナスの政策にも目を向けてきた市民にとっては「破壊」というイメージにつながり、「このままでは建物が破壊されてしまうのではないか」という錯覚を生み出したのではないでしょうか。
大阪維新の会が政権を担うようになってから、「
コストカット」ばかりが優先されるようになって、人々にとって必要なものまで削られるようになってしまった結果、
子供が入院できなくなり、エアロゾル感染を防ぐために青空の下で遊ばせようと思ったらお金がかかるようになった大阪市。このコロナ禍では、
病院だけでなく、保健所の数も減らしてしまったため、前回のファクトチェックにあったような「濃厚接触者の放置」が起こり、
他の自治体に比べて死亡率が高く、しまいには
知事が「コロナにイソジンが効く」と言い出す始末です。さらには、知事がほぼ毎日テレビに出演し、お隣の和歌山県のような徹底した検査体制を目指すわけでもないので、こうしている間に大阪では
ワクチンや治療薬の効きにくい変異株が増えつつあり、一般市民にワクチンが行き渡る頃には、すっかりワクチンが効かなくなっている可能性すらあるのです。
チェックするべきところは、本当に『市民のツイート』なのでしょうか。
大阪市民の「心の風景」として刻まれている大阪府立工芸高校の校舎。この所有権が大阪市から大阪府に移管されることは、ただ
管理者が大阪市から大阪府に変わるというだけでは終わりません。
建物を保存するためには、当然、お金がかかります。そのお金は誰が負担するのかと言ったら、これまでの大阪市ではなく、「大阪府」が負担することになります。大阪維新の会の人たちは「大阪市が管理しようが、大阪府が管理しようが、同じ大阪が管理するのだから、この建物が壊されるようなことはない」と言うのかもしれませんが、それは必ずしも約束されているものではないのです。
新型コロナウイルス対策で失敗している日本は、これからますます経済が衰退し、十分な税収が見込めなくなる可能性があります。特に、
コロナ対策が「イソジン」だった大阪府のダメージは計り知れず、税金が確保できなければ、これまでのようなお金のかけ方ができなくなるかもしれません。そうなった時、校舎の保存を泣く泣く諦めなければならないかもしれません。しかし、その議論は「大阪市」ではなく「大阪府」で行われます。
先程も申しましたが、この校舎は
「大阪市民」の心の風景であり、熊取町や泉佐野市に住んでいる人たちにとっては、べつに愛着があるわけでもありません。大阪市で話し合われるのであれば、この建物の価値がわかる人たちの間で話し合われることになるかもしれませんが、大阪府全体で話し合われることになれば、建物の価値をあまり知らない人たちによって話し合われることになりかねません。そうなれば、最終的な判断が変わってしまうかもしれないのです。
つまり、遠い将来(と言っても、このコロナ禍で経済に壊滅的なダメージがあれば、数年後かもしれない)に、壊されてしまうかもしれないリスクが今までよりも高くなってしまったことは間違いありません。だから、「壊される」と感じた人たちの気持ちが「デマ」であるとも言いきれないのです。