まだ終わらない「森発言」問題。「わきまえ」を女性に求めることの弊害とは

非正規女性の「わきまえ」と正規女性の疲弊

 さらに大きな弊害は、こうした無力感と「わきまえ」が、女性の参加による活性化を不可欠とする日本の経済、社会、労働市場に大きなマイナスをもたらしかねないことだ。その一例が、「女性不況」とも呼ばれるコロナ禍での女性たちの状況だ。  野村総研は2020年12月、シフト勤務をしているパート・アルバイトの20~59歳の女性たちへの「休業支援金・給付金」をめぐるネットアンケートを行なった。ここでは、55%が、コロナの感染拡大が始まってからシフトが3~9割減ったと答え、シフトが全く入らなくなった人(つまり事実上の失業)も4%いた。にもかかわらず、「休業支援金」の存在を知っているのは16%にすぎず、知っている人でも8割が申請していなかったことだ。申請しない人の65%は、「自分が対象になるかどうかわからなかった」と回答している。  シフト勤務を「選択」するのは女性が多いといわれる。家庭責任を抱え、家事や育児の合間に細切れに行えると考えるからだ。家庭が女性の本分、経済的自立はそれにさしさわりのない範囲で行うべきだという「わきまえ」が、その「選択」の背景にある。その結果、「家事の合間に働かせてもらっているような労働で休業や解雇を主張できるのか」というためらいが生まれがちだ。  時給が最低賃金水準に据え置かれている場合も多く、シフトを減らされて収入が激減しているときにそれをベースにした支援金を受け取るより家に戻って節約する方がいい、という声も聞く。DV相談などに当たる社団法人「エープラス」の吉祥真佐緒さんは、「主婦は外で稼ぐより家庭で節約」という「わきまえ」の根強さが、背景にあるのではないかと言う。  そうした非正規女性の「わきまえ」は、正規女性にも影響を及ぼしている。女性のための労組「女性ユニオン東京」の労働相談には、非正規が多数を占める販売職場や公務職場の正社員の女性たちから、非正規女性たちが大量にやめていく中で職場が人手不足になり、育児時短を求めると「子育てなど顧みずに働くのが正社員、できないならパートになっては」と会社から言われたという相談が複数舞い込んでいる。  少子高齢化による労働力不足が叫ばれてきたにもかかわらず、女性たちは「わきまえ」によって声を上げられず、それが職場の崩壊状態を生んでいることになる。  「森発言」と「女性不況」の関係は遠いように見えて、密なのだ。

これを機に「実効性のある反差別対策」へと発展を

 ただ、今回の「森発言」にからんでは、そうした「わきまえ」や「常識」の実害に日本社会が気づき始めたと思われる兆しも生まれ始めている。  海外メディアの批判や、五輪ボランティアの辞退に続き、「辞任して終わりとせず、多様性を確保できる差別のない社会にしていこう」(2021年2月22日付共同通信)という国連の中満泉事務次長の呼びかけで、「差別のない日本リーダー宣言」も発表されたからだ。この宣言には、大手企業トップや研究者など42人が加わったという。企業経営者の間にも、女性がまともに活躍できない社会への危機感が高まり始めていることをうかがわせるエピソードだ。  必要なのは、これらの兆しを「五輪憲章に反する」「対外的に恥ずかしい」にとどめるのでなく、差別が現実の社会にもたらす弊害を受け止め、実効性のある反差別対策へと発展させることだ。  差別は、「特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為」(ブリタニカ国際大百科事典)とされる。しかし、日本社会では、そうした差別の定義さえ定着していない。  こうした状況を踏まえ、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)は2016年、日本政府に対し、「女性に対する差別の包括的な定義が欠けていることを依然として懸念する」とし、「政府職員、国会議員、法律専門家、法執行官及び地域社会のリーダーを含めた関係者に対して、本条約及び委員会の一般勧告並びに女性の人権についての意識を啓発するため、既存のプログラムを強化すること」を勧告している。  人口の半分を占める女性の登用を急ぐ必要はいうまでもない。ただ、その前提として、差別の正確な定義を盛り込んだ包括的な差別禁止法の制定や雇用及び職業についての差別待遇を禁じた条約111号条約の批准、CEDAWが勧告する男女政治家へのジェンダー研修の義務付けの法定化など、反差別へ向けた具体策を早急に実行することが不可欠だ。それなしではせっかくの登用は「わきまえによる選別」の道具に転化し、その実害は深刻化するばかりだ。 <文/竹信三恵子>
たけのぶみえこ●ジャーナリスト・和光大学名誉教授。東京生まれ。1976年、朝日新聞社に入社。水戸支局、東京本社経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)、和光大学現代人間学部教授などを経て2019年4月から現職。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)、「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)、「ミボージン日記」(岩波書店)、「ルポ賃金差別」(ちくま新書)、「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)、「家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの」(岩波新書)、「正社員消滅」(朝日新書)、「企業ファースト化する日本~虚妄の働き方改革を問う」(岩波書店)など。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。
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