つまり、一強が命じてもサボタージュしてきた背景には、厚労省、感染症ムラの省益、ムラ益護持があった、という解説である。
この種の指摘をするのは上氏ぐらいではないか。厚労省周辺の学者、ジャーナリストからは聞こえてこない。上氏が東大医学部卒の臨床医で、かつて東大医科研に所属するなどムラの内情を知りうる立場にいたこと、その後その世界からはドロップアウトし現体制に何の忖度もない立場になったこと。それゆえの歯に衣を着せぬ、他では聞けない貴重な論評、と私は受け止めている。
では、時の首相の指示をもはねつける感染症ムラとは一体どんなムラなのか。それは、厚労省の感染症対策部門(健康局結核感染症課)と感染研を軸に、「東京大学医科学研究所」(医科研)、「国立国際医療研究センター」(医療センター)、「東京慈恵会医科大学」(慈恵医大)各部門の感染症関連人脈にまで広がった運命・利益共同体である。
その発言力の強さは、当初の専門家会議で言えば、12名のメンバーのうち8人が前記4組織関係者であったこと、その後改組した感染症対策分科会でも尾身氏以下5人が残留したことに表れている。彼らはカネ目でも強い連帯意識、結束感を持っている。20年2月段階で最初に計上されたコロナ緊急対策費総額19・8億円のうち、18・1億円、91%がこの4組織に向けたものであった。
上氏はさらに突っ込んで、これら組織の歴史的ルーツにまで遡る。感染研も医科研も前身は「伝染病研究所」(伝研)という旧陸軍と深いつながりを持った組織にあり、戦後、伝研から分離された感染研の幹部に、陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねたことがあった。医療センターももともとは旧陸軍の中核病院であり、慈恵医大は、創設者の1人が薩摩出身の高木兼寛・海軍軍医総監であり、名付け親は昭憲皇太后だった。
上氏に言わせれば、感染症ムラは、見事にこの陸海軍の体質を受け継いでいる。その情報不開示姿勢はさることながら、軍特有の自前主義も残存、特にワクチン開発現場に大きな影響を与えている。「現在も、インフルエンザワクチンの製造・供給体制は、毎年、感染研が海外からウイルス株を入手し、数社の国内メーカーに配布、その培養結果を感染研がとりまとめ、最適な株を国内メーカーに配布する。海外企業の参入や国際共同による治験が認められている他の薬剤とは全く扱いが違う。感染研には、その対価として施設設備費や試験研究費という形で税金が投入され、一種利権化している。軍を中心とした戦前のワクチン開発・提供体制が生き残った形で、最も成長が期待される分野で、日本の競争力を停滞させている」という。
この点は舛添要一前都知事も同調する。10年前、舛添氏が厚労相として新型インフル対策の総指揮官を務めたおり、ワクチン対策として国産が1800万人分しかなかったので、海外から4950万人分を買いつけたが、省内からの抵抗はすごかった、という。「感染症ムラの国産優先方針とぶつかった。背景には国内製薬業界との癒着がある」と語る。
さもあらん。その体質が今のコロナワクチン国際競争での出遅れにつながっている。OECD37カ国のうち32カ国で、世界では80カ国で接種が始まった中、日本ではようやく2月第三週から接種開始である。
ムラを采配する医系技官と呼ばれる人たちにも言及が必要であろう。医系技官とは、医師免許を持つ厚労省のキャリア官僚だ。次官級、局長ポストを1つずつ有する総勢約200人の一大勢力だ。最大の特徴は、医師国家試験に合格しているという理由で公務員試験が免除されている点。膨大な予算と権限を持つ高級官僚になるのに、その基礎能力が問われない仕組みになっている。そのうえ、有為な人材は保険局で健保問題に携わったり、医政局で医師不足対策を担当、二番手以降が健康局や公衆衛生部門、WHO(世界保健機関)や国立感染症研究所、地域厚生局長といった部署に回されたりする。上氏に言わせると「これら2軍プレーヤーたちが感染症ムラの住民であり、コロナ問題の担い手だった。弱いところに難しいミッションが落ちた」とのこと。
ナルホド、日本のコロナ対策の迷走の背景には、この医系技官問題があった。加藤勝信、田村憲久両厚労相もここには手が付けられなかった、というが、霞ヶ関人事ににらみを利かせて来た菅首相としては、せめてこの制度の見直しに手を付けてはどうだろうか。
<文/倉重篤郎>
くらしげあつろう● 78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員。
<記事提供/
月刊日本2020年3月号>
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