2010年代からその数を増やし、昨今では若年層を中心に住居選びの一般的な選択肢として浮上するようになった「シェアハウス」。シェアハウスは運営コンセプトによって様々な特色を持っているが、その中でもひと際異彩を放つのが、アートや音楽を志すクリエイター系の若者たちが暮らす「渋家(シブハウス)」だ。
過去には数多くの著名クリエイターを輩出し、住人たちに大量の業務が発注されたこともある。結果、2016年にはやむなく「渋家株式会社」(のちに渋都市株式会社と改名)として法人化したほどだ。
しかし、そんな渋家は2021年を機に、名前の通り渋谷に住居を借りて拠点を定め活動する形態に終止符を打ち、新たに「集団移住型シェアハウス」として再スタートを切るという。今回、なぜこうした形態への転身を遂げることになったのか。渋家新代表の上梨裕奨さんに、その真意を聞いた。
渋家の歴史は、2008年にアーティストの齋藤恵汰さんが池尻大橋の小さな物件を借りたところからスタートした。その後、何度かの移転を経て渋谷へ拠点を移し、その規模もしだいに拡大していった。
「渋家の特徴は、一般的なシェアハウスとは一線を画し、家を分け合って自分の空間を設ける“住居”としての機能に重きを置かず、家を外部へ開放する“オルタナティブスペース”として見なしている点です。分かりやすく言えば、家ではなく公園みたいなものですね。公園に自分だけの空間がないように、渋家にも自分だけの空間というものはありません」
渋家で行われたイベントの様子
その言葉通り、渋家は「来るもの拒まず」という運営方針を徹底している。
「クリエイターが多い場所ではありますが、もちろんクリエイターだけを選別して入居させているわけではありません。過去には、家出少女やホームレスを受け入れたこともありましたし、2011年の東日本大震災勃発時には被災者の方も受け入れていました。ちなみに、私もホームレスだったところを渋家に拾われた縁があるので、来るもの拒まずのカルチャーを体現しているかもしれません」
上梨裕奨さん
しかし、こうした運営方針では、どんな「ならず者」が入居してくるか分からない。それでも、来るものを拒まないだけでなく、生活にあたってのルールすらほとんどないという。
「渋家にあるルールは3つ。『陰口を言わない』『多数決を取らない』、そして『法律を守る』ことだけ。これを守れば、何をやっても大丈夫です。ただ、そうは言っても大人数が共同生活をしていれば、トラブルは起きます。そんな時は、とにかく積極的に議論して解決を図ります。そこでもめ事になってもいいので、ルールを作って『はい、ルールを破ったあなたは悪者です』という構図を作らないことを重視しているんです」
こうした独特のカルチャーがクリエイターを育て、先に見た著名人の輩出や法人化につながったと、上梨さんは分析する。