反対する論理に目を向けることを妨げる「反発」という表現
1回目は、野党については「反発」という言葉を使う一方で、菅義偉首相については「色をなして反論」と、「反発」という言葉を避けていることを見た。2回目は、安倍晋三前首相の答弁について「反発」という言葉が用いられた例を紹介しながらも、「反発」という言葉は、「お上」の意向に逆らう側に使われる傾向があり、政治報道の言葉遣いには、政権寄りのバイアスがかかっているように見える、と書いた。
その後、数名の方から重要な指摘をいただいた。それらを踏まえて今回は再考したい。ただし、「野党は反発」という表現は慎重に使っていただきたいとの主張は、変わらない。
まず、国際関係に関わる記事において「日本政府は反発」といった表現は普通に見られ、その場合に記事の執筆者が相手国のことを「日本政府より目上」と考えているとも思えず、従って、「お上」に逆らう場合に「反発」という表現が用いられるという議論の前提自体が揺らぐ、という指摘をいただいた。
この指摘はもっともであり、立論の甘さがあったと率直に認めたい。対外関係において「政府は反発」といった表現があることは以前にも認識していたのだが、国会報道を論じる中でそのことが頭から抜けてしまっていた。
確かに、「政府は反発」と表現したからといって、その記者が相手国を「上」と見ているわけではない。例えば、慰安婦訴訟判決を伝える下記の記事に見るように、問題をめぐって対立がある場合、どちらの国についても「反発」という表現が用いられている。
“日本外務省の秋葉剛男事務次官は8日、韓国の南官杓(ナムグァンピョ)駐日大使を呼び、「極めて遺憾だ」と抗議した。菅義偉首相は8日、首相官邸で記者団の取材に応じ、「我が国としては、このような判決が出されることは、断じて受け入れることはできない」と強く反発し、訴訟の却下を求めた。”
●韓国の慰安婦訴訟判決、首相「断じて受け入れられない」(朝日新聞、2021年1月8日)
“茂木敏充外相は18日、衆参両院本会議で外交演説を行った。バイデン米次期政権の発足を前に、日米同盟の強化を掲げる一方で、韓国の地裁が日本政府に元慰安婦らへの賠償を命じた判決について「異常な事態」と強く非難した。(中略)
韓国外交省の報道官は茂木氏の演説について「日本側の一方的な要求は受け入れられない」と反発。「日本政府も日韓慰安婦合意の際に明らかにした謝罪、反省の精神に基づいて、被害者の尊厳の回復のために、一緒に知恵を出すよう求める」とコメントした。”
●韓国の慰安婦判決、外相「異常な事態」 外交演説で強く非難(朝日新聞、2021年1月19日)
また、前回の記事について、朝日新聞の伊丹和弘記者(@itami_k)から次のようにコメントをいただいた。なお、「政治部に属したことがないので、政治部独特の使い方については、その有無も含め分からない」としている。
「野党は反発」といった表現が政治報道で多用される問題を考える記事の、今回は3回目となる。
国際関係では、どちらも「反発」
朝日新聞・伊丹和弘記者の指摘
“記事中の「反発」の使い方の考察。とても面白く、興味深く読んだが、「反発」の使い方を「根拠にあえて目を向けない表現」とするが、そうだろうか? 僕のイメージでは、比較して権力が大きい方に対する小さい方のなんらかの行動を伴った反対。もしくは先行行動があり、それに対する反対。” “そして、反論より反発の方が、反対度が高いイメージ。 ただ、そういうバイアスがあるように感じる人がいるのだということは分かったので、なるべくそのイメージを増強させないような使い方をしようと思った。”記事中の「反発」の使い方の考察。とても面白く、興味深く読んだが、「反発」の使い方を「根拠にあえて目を向けない表現」とするが、そうだろうか? 僕のイメージでは、比較して権力が大きい方に対する小さい方のなんらかの行動を伴った反対。もしくは先行行動があり、それに対する反対。(続) https://t.co/Hits0tpRpb
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) February 13, 2021
“あと、記事では同じ単語を繰り返すと稚拙に聞こえることがあります。なので言い換え言葉は多用します。反発の場合、反論、抗議、異議、反対意見などを使いますが、そこにニュアンスの違いはほぼありません。”(※追記) ※ 2/18追記:伊丹記者のこのツイートは、「反発と反論には語句としてニュアンスの違いは存在する。ただし、言い換え語句として使った場合にはニュアンスの違いはほぼない」という趣旨であるとの連絡をいただいている。 この伊丹記者の「イメージ」のうち、「比較して権力が大きい方に対する小さい方の」という部分は、上記に見たように国際関係の記事には当てはまらないので、一般化はできない。では、「なんらかの行動を伴った反対。もしくは先行行動があり、それに対する反対」であり、「反論より反発の方が、反対度が高い」、また、「反発」と「反論、抗議、異議、反対意見」などに、ニュアンスの違いはほぼない、という点はどうだろうか。 これに関連して、別の方からは、こういう指摘があった(以下は、私なりの理解で言葉を補ったもの)。 ***** 主権国家同士の関係は国内政治とは異なり、相手国の主張に対する当該国の反応を「反発」と表現するしかないことがある。しかし、議会制民主主義の国家においては、国内政治は議会内の話し合いでより良い方針を決定していくのが本来であり、従って「野党は反発」ではなく「野党は批判」でなければならない。にもかかわらず、議会の現状は、「逆らい難い圧力をかけるもの」と、「それに反応するほかすべがないもの」という状態になっている。そのことをメディアが当然視してしまっていることに問題を見出したのが、「野党は反発」という言葉遣いへの違和感の表明だったのではないだろうか。 ***** そう。そこなのだ。この方の指摘とも重なる私の問題意識が記者の方に伝わるように、以下に更に考察してみたい。あと、記事では同じ単語を繰り返すと稚拙に聞こえることがあります。なので言い換え言葉は多用します。反発の場合、反論、抗議、異議、反対意見などを使いますが、そこにニュアンスの違いはほぼありません。 https://t.co/mkoZ6Wcxyq
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) February 13, 2021
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