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「野党は反発」などの形で多用される「反発」という言葉遣い。その「反発」という言葉が用いられる文脈を、今回はさらに考えてみたい。
前回は、菅義偉首相の長男らの総務省幹部との会食問題について、
野党の動きを「反発」と表現する一方で、菅義偉首相については「色をなして反論」と、「反発」とは表現しなかった例を取り上げた。
この「反発」という言葉をめぐっては、「政治と報道」をめぐる昨年の
短期集中連載の
第8回でも、事例をとりあげつつ詳しく検討している。
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上西充子「【HBO!】「対戦ゲーム」のように国会を報じることで見えなくされていること 」(ハーバー・ビジネス・オンライン、2020年12月12日)
上記の記事で紹介したように、「田村憲久厚生労働相は『(アベノマスクについては)国民から感謝やお礼の声もいただいている』と反論した」や、「(安倍)首相は『私がウソをついているというのであれば、(ウソだと)説明するのはそちら側だ』などと拒否し続けた」のように、野党であれば「反発」と表現してよさそうな場面で、
首相や大臣については「反発」という言葉が避けられていることが注目される。
では、「反発」という表現を用いる場合と用いない場合は、どう使い分けられているのだろうか。どうやら多くの場合、「お上」が示す反応については「反発」という言葉は避けられ、「お上」の意向に逆らう側には「反発」という言葉が使われているように思われるのだ。
「いや、大本営発表の時代じゃあるまいし」と思うのだが、たぶん、記者の方々も無意識のうちに使い分けをおこなっているのではないだろうか。その記者の方々に無意識のバイアスを問い直していただくためにも、以下で具体的に検討していきたい。
まず、首相については「反発」の言葉を使わないが野党については「反発」の言葉を使うのは、「反発」が個人の動きを表す言葉ではないからだ、という仮説を考えてみよう。確かに「野党は反発」「野党議員らは反発」などと使われる場合が多い。しかし、反証例はすぐに見つかる。
例えば、以下の記事は、大西健介議員個人について、「反発」と記されている例だ。
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水道「民営化」採決強行 きょうにも成立 衆院委で与党(朝日新聞デジタル、2018年12月6日)
“
国民民主党の大西健介理事は「水メジャーとの癒着の疑いが浮かび上がっている。特定の利害関係のある企業に水を売り渡す、そういう恐れがある。拙速なやり方で法案を強行することは間違っている」と
反発した。”
さらに、個人について「反発」を使っている例は、野党議員に限らない。下記はお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳氏について「反発」という言葉が使われた例だ。
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ロンブー淳さん、聖火走者を辞退 森氏発言に反発 (毎日新聞、2021年2月4日中部朝刊)
“田村さんは大会組織委員会の森喜朗会長が2日、自民党のスポーツ政策を推進する会合で行った発言を
疑問視。「オリンピックはコロナがどんな形であっても開催するんだという理解不能な発言をされていて、同意しかねる」などと発言した。さらに「有名人は田んぼを走ったらいいんじゃないか」と発言したことについて、田村さんは「農家の方にも失礼だと思う」と
批判した。”
文中には「批判」とあるが、見出しは「反発」だ。