「反発」と「批判」。どちらの言葉が使われているかによって、読者による問題の受けとめは変わってくる。言い換えれば、言葉遣い一つで、その問題に対する読者の認識を操作することもできてしまう。言葉にはそれだけの力がある。ぜひ報道各社には、「反発」という言葉遣いを見直していただきたい。
上述の田村淳氏の聖火ランナー辞退の報じ方をもう一度見てみよう。
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ロンブー淳さん、聖火走者を辞退 森氏発言に反発 – 毎日新聞(2021年2月4日中部朝刊)
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田村淳さん、聖火ランナー辞退 森氏の「五輪やり抜く」発言批判 – 毎日新聞(2021年2月5日東京朝刊)
同じ田村淳氏の対応を伝える毎日新聞の記事でも、別の記者による別の記事では、「反発」ではなく「批判」が用いられていた。どうだろう。「批判」というほうが、その発言主体が尊重されている印象を受けないだろうか。
さて、ここで思い出されるのが、今回の一連の問題の中での森喜朗氏(東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長)と二階俊博氏(自民党幹事長)の次の発言だ。
●森喜朗「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」
(2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会にて)
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「『女性がたくさん入っている会議は時間かかる』森喜朗氏」朝日新聞、2021年2月3日)
●二階俊博「そのようなことですぐやめちゃいましょうとか、何しようか、ということは一時、瞬間には言っても、協力して立派に仕上げましょうということになるんじゃないか」
(2月8日、記者会見にて)
(
「二階幹事長、ボランティア辞退は『瞬間的』 五輪巡り」朝日新聞、2021年2月8日)
この森会長の発言は、女性は考えなしに発言したがるような言い方だし、二階幹事長の発言も、ボランティアの人たちは考えもなしに瞬間的な反応で辞退を申し出ていると見ているような言い方だ。
どちらも相手に対する敬意を欠いている。麻生太郎副総理兼財務大臣は2月9日の衆院予算委員会で立憲民主党の山本和嘉子議員に問われて、
「ボランティアは大きな大会をやるときに必要な大きな力だ。そういった方々に対する
敬意を欠いている」
と答弁したという。批判を受けての対応であり、オリンピックの円滑な運営に向けての発言だろう。
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森喜朗氏の女性蔑視発言 平沢復興相「五輪開催に支障なし」 麻生氏は「不適切」(毎日新聞、2021年2月19日)
さて、記者の皆さんに問いたい。「反発が広がっている」という言い方は、市民への敬意を欠いているとは思わないだろうか。「野党は反発」という言い方は、野党議員への敬意を欠いているとは思わないだろうか。
敬意を欠いているつもりはないと言うのであれば、「反発」という言葉遣いを自制していただけないだろうか。
ここまでを書き終えたあとで、森喜朗会長の後任人事に関するニュースで「政府内で反発の声」という表現が出てきた。
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川淵氏“後継指名” 政府内で反発の声 (日テレNEWS24、2021年2月12日)
“東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会は、12日午後3時から臨時の会合を開き、森会長が女性蔑視発言について自ら謝罪し、正式に辞任を表明する予定です。また、新しい会長の選考について話し合いが行われます。
政府内からは、森会長が川淵氏を後継指名したことについて反発する声があがっていて、人事を白紙に戻し再調整すべきとの意見が出ています。
組織委員会が会長人事を白紙に戻そうとした背景には、
政府内から森会長の後継指名に「密室だ」「透明性がない」など強い反発の声があがったことがあります。
(中略)
立憲民主党の幹部は「遅きに失した。菅総理がまったくリーダーシップをとれなかった」と述べるなど、
野党側は批判を強めていて、今後の政権運営にも影響を与えることになります。“
「政府内」について「反発」という表現が使われており、さらに「野党側」については「反発」ではなく「批判」という表現が使われている。
さあ、困った。お上の意向に逆らうから「反発」、というこの記事の見立てが崩れてしまう……と思ったのだが、考えてみれば、見立てを撤回しなくてもよいのかもしれない。なぜなら森会長の後任に川淵三郎氏をあてるという件は森会長が川淵氏に依頼したものだったが、川淵氏が記者に語ったところによれば、菅義偉首相は「もっと若い人を、女性はいないか」と語っていたらしく(下記の記事を参照)、その菅首相の意向に森会長が従わなかったからこそ、川淵氏が後任となる見通しだったからだ(結局、川淵氏が後任の会長となる案は撤回されたが)。
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バッハ氏が女性共同会長提案 川淵氏「森氏から聞いた」(朝日新聞、2021年2月11日)
つまり、力関係で見ると菅首相よりも森会長の方が「上」であると見られ、森会長が川淵氏を後継指名したことについて、政府内から「反発の声」があがった、と表現することは、「反発」=「お上に逆らう」という図式からは、やはり、はずれてはいない。会食の場における上座と下座の位置関係を考えると分かりやすい。
森会長の後継人事はやり直しとなったし、菅首相の長男による「接待」疑惑はさらに深まったし、いろいろと政治が動く情勢となってきた。「反発」という言葉が政治報道にこれからも頻出するのか、それとも表現の見直しが進むのか、皆さんもぜひ、注視していただきたい。
2021/02/14追記
この記事に関し、対外的な記事において「日本政府は反発」といった表現はあり、その場合に記事執筆者が相手を「日本政府より目上」と考えているとも思えず、議論の前提自体が揺らぐ、という趣旨のコメントをいただきました。ご指摘の通りで、この点は再考し、次回の記事で触れたいと考えています。
<文/上西充子>