なぜフェミニストは長州力に惹かれたのか。男社会の「会議」と長州力

批判を浴びた「#変わる男たち」

 さて、ここまでは前置きです。  JOC会長・森喜朗の発言、「女性を増やすと会議が長くなる」をめぐって、国内外から猛烈な抗議がわきおこっています。当然です。  この問題から派生して、ニュース配信ネットメディアで公開された討論番組「#わきまえない女たち」「#変わる男たち」が注目されています。とくに「#変わる男たち」は、男性の識者たちが森発言を批判する意図をもってつくられたにもかかわらず、こうした番組の組みかたこそが問題なのだと批判のまとになっています。この番組の企画者は森発言のなにが問題であるのかをまったく理解していない、という批判です。かれらは、女性たちの抗議運動にくわわろうとしたところ、かえって女性たちの怒りをかう結果になってしまったわけです。ひじょうに興味ぶかいことです。  わたしはこの「炎上」をはた目にみながら、同時に、自分自身の宿題となっている「長州力に強烈な魅力をかんじるのはなぜなのか問題」について、かんがえていました。なぜ質問者の女性は、猪木でも三沢でも武藤でもなく、長州力にハートをつかまれたのか。長州力にあって、猪木にないものは、なんなのか。  わたしは今回の「#変わる男たち」炎上問題から、すこしヒントをもらったように思いました。キー概念となるのは、男性社会、ホモソーシャルという概念です。

長州力を排除して成り立つ男社会

 かりに、こう考えてみます。もしもJOCの会議に長州力が出席していたなら、かれはなにを言ったでしょうか。いや、そもそも、この仮定はなりたちません。長州力はこの会議に出席できないのです。プロレスラーですから。もしかりに、プロレスの業界団体から代表者が出席するという会議が用意されたとしても、長州力は代表者にえらばれません。かれがいると話がややこしくなるからです。出席者全員が目をふせておとなしく拍手をしてシャンシャンとおわらせるような会議に、長州力を代表として派遣することは、ありえない。猪木や武藤であれば、がまんして役をこなせるかもしれません。しかし長州力には、無理です。暴れます。  反対に、森会長発言に抗議するという趣旨でリベラル派の男性の座談会があったとして、長州力に出演をオファーしたら、かれはなにを言うでしょうか。いや、これもありえないのです。話がややこしくなるからです。出席者の発言をうけて、そうですね、おっしゃるとおりですね、などと長州力がうなずくことは、ありえない。話をききながらだんだんイライラしてきて、「てめえはよぅ!」とくってかかるかもしれません。座談会をぶちこわしにする可能性が高い。  いずれにしろ、長州力が会議に出席することはありえません。事務方がそれをさせないのです。男性社会がとりおこなっている世間の会議という会議は、長州力を周到に排除することによって成立しているといえます。男性社会の論議、合意、決定は、長州力のような「ややこしいひと」を排除することで成立するわけです。  では、長州力は、反社会的な性格を持った人物なのでしょうか。ちがいます。かれは、団体や業界や社会についてまじめに考えるひとです。しかし、男性社会のなかでは、「話をややこしくする厄介なひと」というあつかいになってしまうのです。とんでもない話です。長州力は反社会的な人物ではありません。反社会的なのは、会議のほうです。長州力を排除してシャンシャン会議をして仕事をした気になっている人びとこそが、反社会的なのです。  はじめに投げかけられた問い、なぜ教養のあるフェミニスト女性が長州力に強烈にひかれるのか、について、すこしだけ回答に接近できたように思います。  長州力は、みためも言動もマッチョなプロレスラーですが、男性社会の権威・権力・ヒエラルキーからはとおざけられています。そうした意味で、長州力は、女性ではないが、女性に近い。どれだけ声をあらげてもまともに相手にされないという経験を、長州力は知っていて、それでもひたむきに生きている姿が、人びとの共感をよぶのでしょう。 <文/矢部史郎>
愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。
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