iPhone開発言語「Objective-C」作成者が76歳で死去。スマホ時代を拓いた言語の数奇な運命

スティーブ・ジョブズとObjective-C

 1983年に設立された Stepstone 社と、その会社が持つ Objective-C に目を付けた人物がいた。彼は、先見の明と、技術への類い希なる洞察力と、傲慢な精神を持つ男だった。  彼は、1985年に Apple 社を解雇された。そして同年に、ワークステーションの開発製造会社である NeXT 社を創業した。彼は、Objective-C を、自社のOSの主要な開発言語として採用した。そして1995年には、Steptone 社の Objective-C 関連資産を買い取り、自社の技術とした。  2年後の1997年に、Apple 社は NeXT 社を買収する。同年、彼は、古巣の Apple 社の暫定CEOになる。そして、1998年に iMac を発売して、熱狂とともに、世間に受け入れられた。彼とは、スティーブ・ジョブズ、その人だ。  NeXT 社買収から5年後の2002年、NeXT の成果が結実した Mac OS X が世に出る。Objective-C が日の目を見た瞬間である(Geekroid)。  さらにジョブズは、2007年に iPhone を世に送り出す。この iPhone 向けアプリケーションの開発言語として、Objective-C は採用される。圧倒的なシェアを獲得した iPhone によって、Objective-C はメジャーなプログラミング言語に躍り出る。  開発から四半世紀を経たあとで、Objective-C というプログラミング言語は、絶頂期を迎えた。

プログラミング言語の数奇な運命

 世界中で激しく使われるようになった Objective-C だが、そのまま同じ地位を保ち続けることはできなかった。  無理に拡張し、仕様変更を続けた Objective-C は、ボロボロの状態になってきた。可読性は著しく落ち、生産性は低下していった。栄光に包まれていたボクサーは、パンチドランカーのような状態になっていた。大規模な改修か、新しいプログラミング言語への移行が求められた。  iPhone 発売から7年後の2014年、Apple は新しいプログラミング言語 Swift を発表する。よりモダンで簡潔なプログラミング言語の登場により、Apple の製品上で新しいプログラムを書く際には、Swift が採用されるようになった。Objective-C は、その席を、後進の Swift に譲ることになる。  プログラミング言語は多くの場合、利用者のコミュニティーができ、そのコミュニティーによって育てられる。しかし、Objective-C は、そうした一般的なプログラミング言語とは大きく違う運命をたどっている。  スティーブ・ジョブズという巨人による採用。彼の存在なしには、Objective-C は、ここまで世界で利用されることはなかったのではないかと思える。 <文/柳井政和>
やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。2019年12月に Nintendo Switch で、個人で開発した『Little Bit War(リトルビットウォー)』を出した。2021年2月には、SBクリエイティブから『JavaScript[完全]入門』、4月にはエムディエヌコーポレーションから『プロフェッショナルWebプログラミング JavaScript』が出版された。
1
2