社会的弱者が強者に戦いを挑む『名も無き世界のエンドロール』、その「映画ならでは」の魅力

原作小説にあった『レオン』への言及

 この映画『名も無き世界のエンドロール』は、原作小説から換骨奪胎され、整理されたところも多い。時系列の構成も少し変わっており、高校の時に野球をやっていた過去など一部の設定が映画では描かれていなかったりもする。  原作小説には映画作品を引用した場面も多い。『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)や『カサブランカ』(1942)の他、ジェームズ・ディーンやチャールズ・チャップリンといった往年のスター俳優について熱く語る場面が多いのだが、今回の映画ではほぼカットされている
©行成薫/集英社 ©映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会

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 原作小説では特に『レオン』(1994)が、少女が自身の境遇をヒロインのマチルダになぞらえて語った印象的なエピソードとして登場していたのだが、これが映画ではない。原作小説が新人賞を受賞した際のタイトルが「マチルダ」であったことからも重要な要素であったことがうかがえる。これが今回の映画ではなかったことに、原作小説のファンからは否定的な声もあがるかもしれない。  だが、筆者はこのことを肯定したい。仮に映画へのうんちくが今回の映画であると、それらの映画を観たことがない人にとってはノイズになってしまうかもしれない。字面として自分のペースで読める小説なら良くても、限られた時間で物語を語る必要がある映画であるとテンポを損ねてしまう原因にもなりうる。  何より、本作は媒体そのものが「映画」になっているのだから、それ以上の他の映画についての説明はなくても良い、と思えるのだ。今回の映画でも少女が言及している「映画は好きだけど、観るのは嫌い」の理由は、まさに本作が終わった時、つまりエンドロールが始まった時に、原作小説よりもはっきりとするのではないか。  なお、主演の岩田剛典は原作小説に『レオン』のオマージュがあることを踏まえて、その主演であるジャン・レノをイメージして「交渉屋」の役に取り組んでいたのだそうだ。仕事については冷酷なようで、少女を大切に想うその役作りを思えば、原作小説の『レオン』への言及が好きだった方も納得ができるのかもしれない。
©行成薫/集英社 ©映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会

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 そして、『名も無き世界のエンドロール』という(原作小説の改題後の)タイトルの意味が、まさにエンドロールが流れる映画になったことで、さらに「わかる」ようになってたということにこそ、映画化の意義、「映画ならでは」の魅力があると言っていいだろう。  また、映画版だけを観たという方は、ぜひ原作小説も読んでみて欲しい。この作品が、いかに映画というものの多重性を語った作品であるかが、さらにわかるだろう。 <文/ヒナタカ>
雑食系映画ライター。「ねとらぼ」や「cinemas PLUS」などで執筆中。「天気の子」や「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる記事がおすすめ。ブログ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」 Twitter:@HinatakaJeF
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