いまだ飲み歩く人やノーマスクの人だけが断罪されるべきなのか。不合理な行動の背後にある「合理性」とは?

東日本大震災と放射能汚染

 さて、ここで話を終わらせてもいいのですが、もうひとつ付け加えます。  ここまで読んで、頭のよい左派・リベラルのみなさんは、こう思うでしょう。できのわるい困った人間がいるな、と。やっぱり右派はダメだな、と。そう考えてもらってもいいのですが、ただ、あまり他人事だと考えないようにくぎを刺す意味で、もうひとつ話を加えます。  いまからちょうど10年前の2011年3月11日に発生した東日本大震災が東北と関東に甚大な被害をもたらしました。この日、福島第一原子力発電所は核燃料の冷却機能を喪失し、翌12日、爆発します。膨大な放射性物質が放出され、東北・関東地域に降り注ぎました。東日本大震災は、広域の震災被害と津波被害に加えて、放射能汚染公害事件を引き起こしたのです。  放射性物質は首都圏にも降り注ぎました。東京都民に生活用水を供給する葛飾区の金町浄水場で放射性物質が確認され、ついで、関東の女性の母乳から放射性物質が検出されました。多くの人々が空間線量計をもって自分が暮らす地域の汚染を確認しました。子供をもつ親たちは学校施設の汚染状態を調べたり、給食の食材について行政交渉をしたり、関東から母子を退避させたりしました。  そうした未曽有の事態のなかで始まったのが、反原発デモです。首都圏各地ではじまった反原発デモは、この年の夏に統合され、首都圏反原発連合として首相官邸前に登場します。

反原連の方針

 首都圏反原発連合の特徴は、さまざまにある課題と要求をひとつに絞り、原発の即時停止だけを訴えたことです。原発の即時停止に要求を絞ることで、多くの人々を運動に糾合できると考えたのでしょう。  この「合理的な」運動方針は、一方で多くの人々を落胆させるものとなりました。というのも、このころ人々が必死に取り組んでいたのは、放射能汚染に対処するための実態調査と防護対策だったからです。首都圏の反原発運動は、科学的調査や防護といった喫緊の課題をわきにおいて、原発反対だけを叫ぶ集団になってしまいました。防護対策に取り組む人びとは、デモに背を向けて、対策に必要な具体的で科学的な行動に向かいました。お金を集めて市民測定所をたちあげる、食品流通の状況を調べて共有する、関東・東北からの退避を準備する、甲状腺エコー検査の体制づくりをするといった、具体的に必要な実践に向かったのです。  首都圏反原発連合は、ひじょうに大きなデモへと成長しつつ、同時に、首都圏の被曝状況を話題にすることもできない、いびつな集団へと変質していきました。この運動は、政治的に「合理的」な判断がなされた一方で、客観的・科学的には不合理な行動となったのです。 <文/矢部史郎>
愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。
1
2
3