これまで検証してきた例は、テーマも内容も状況も別個だ。だが、妙に共通する何かがある。それは、働き手が雇い主に対して声を上げやすい状況を作ることで労働条件を改善し、それによって社会の富を一般の人々に広く還流させて豊かな社会をつくる、という戦後世界の基本理念の逆転であり、「対等な交渉主体」から「会社の命令にひたすら従うべき存在」への労働者像の転換だ。
まず、メトロ訴訟などの「日本型同一労働同一賃金」をめぐる最高裁判決では、働き手の「やった仕事」への対価としての妥当性ではなく、雇う側がどんな目的や趣旨で賃金を出しているかという判断基準が極端に重視された。これでは、会社側が「女性や非正規は安くても当たり前」というレッテルを貼っていた場合、それをはがすことは難しい。
このレッテルをはがすには、会社や社会の強者が掛けている色メガネを外させ、「本当は何をしているか」を突き付ける何らかの仕組みが必要だ。そのために、モノを言いにくい「雇われている人たち」を束ねることでその発言力を支える「労働組合」が生まれ、その結成は労働基本権として保障された。ところが、そうして勝ち取られてきた権利が、関生事件をめぐる一連の地裁判決では、企業内組合の働き手だけのものであるかのように扱われ、非正社員が参加しやすい産業別労組は、対象外に置かれた。
マタハラの有無をめぐる訴訟は、子育てに必要な労働時間短縮のために1年有期の不安定な働き方への転換を選ばざるをえない仕組みでいいのか、という働く母の疑問が出発点で、働く女性やメディアやの関心も当初はそこにあった。ところが、この部分については契約書にサインした「自発性」を理由に一、二審とも問題にせず、加えて二審では、子どもを育てながら働ける条件を求めたことが「自己中心的な要求」とされ、録音の公開や記者会見という一般的な働き手の道具も規制された。最高裁の棄却は、そうした判断の是非を論議する機会を奪った。
背景にあるのは、非正規雇用を増やし続けたことによる労組の組織率の低下と、賃金の抑制などによる企業の資金力の肥大化による均衡の喪失だ。その結果、企業の「主観」が働き手の「実態」を覆い隠す「企業ファースト化」現象が、労働裁判の世界で進んでしまった。
働き手は、私生活や思想まで会社に左右される「奴隷化」を防ぐため、「労働力を適正に売る」ための「対等な交渉」ができる枠組みを作ってきた。ところが一連の判決では、働き手の要求行為が「強要未遂」「自己の都合のみを優先」と呼ばれている。
また、育児介護休業法や子ども子育て支援法の理念の軽視も目立つ。1996年、パート差別の改善に道を開いた丸子警報器訴訟地裁判決が「およそ人はその労働に対し、等しく報われなければならないという均等待遇の理念が存在していると解される。それは言わば、人格の価値を平等と見る市民法の普遍的な原理と考えるべきものである」と理念を高く掲げたのとは、様変わりだ。
取材の過程では、「正当な目的のための団体交渉やストは刑事責任を問われないという労働組合法の条項をどう考えるのかと言ったら、『労働法については不勉強で…』と裁判官に言われた」と語った関係者もいた。格差拡大の中、一線の労働者や女性を守る法律を軽視する空気が広がっているのかもしれない。
とすれば、労働法教育やジェンダー教育を司法の場で強めていく必要もある。それなしでは「女性活躍」も「賃金引き上げによる消費の回復」もあり得ない。
経済界も働き手に資金が回らない構造に危機感を抱き始めている。たとえば、柳井正・ファーストリテイリング会長兼社長は「(コロナ対策で)金融緩和を続けた結果、株高で裕福な人はさらに裕福になった。ただ本当に必要な困窮者にお金が回っていない」(2020年12月28日付「日本経済新聞」)と語った。メトロ・大阪医科薬科大訴訟の最高裁敗訴を受けて、11月、野党も連携して同一労働同一賃金の改正案を衆院に提出している。
「コロナ社会」の立て直しのために、働き手を支えられる司法へ向けた環境づくりと、働き手の実態を司法の世界に正確に伝えられる社会運動の立て直しが不可欠だ。
<文/竹信三恵子>
たけのぶみえこ●ジャーナリスト・和光大学名誉教授。東京生まれ。1976年、朝日新聞社に入社。水戸支局、東京本社経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)、和光大学現代人間学部教授などを経て2019年4月から現職。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)、「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)、「ミボージン日記」(岩波書店)、「ルポ賃金差別」(ちくま新書)、「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)、「家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの」(岩波新書)、「正社員消滅」(朝日新書)、「企業ファースト化する日本~虚妄の働き方改革を問う」(岩波書店)など。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。