女の身体、わたしの身体。写真家・内田京子の作品から考察する身体とその主権。

他者を撮ることの否定

 内田氏によると、氏はその後絵画の世界を離れ写真へ移行する。彼女の写真が写実的なのはその絵画の背景が顕著に伺える。 「太陽光がいい感じに出るのを一人で待って、そこで自分をモデルに写真を撮ったんです。部屋の中にカメラのセッティングと私だけ。そうしたら人を拘束することもないでしょう?」と内田氏。  長年の歳月をかけ撮り集めた作品が彼女の処女作「Dark Light(ダークライト)」。内田氏自身が作品の中に入り込むという構図は既存の他者ありきの作品への構造への挑戦だ。  これは芸術も人類学にも通じるところだが、他者について記し、描き、撮る、という行為は常にその中に当事者性(他者)と書き手(自己)の問題が内在する。少し前にSNS上で芸術家のホームレス取材が話題となったが、自己と他者の力関係、立場上の違いなど、そこを吟味し尊重の念を忘れずにいないと、表現者は無意識に他者に対して暴力を行使してしまうことになってしまう。  ゆえに内田氏の作品は、彼女のその出発点から他者を眼差すことへの否定から入っている。ゆえに反人文主義的な作品となっているのだろう。ここで注釈しておきたいのが、前述の「ボディ・ポジティビズム」も既存の女らしさへの批判というジェンダーの枠組みの中の話であることから、極めて人文主義的なのである。

街に出て撮りためた昭和の写真

 今このように私が内田氏について書いていることもそれは結果的には人文主義的な行いであり、私はゆえに尊重の念とともに内田氏と過ごした時間を思い書きたい。  内田氏に次なる作品について聞いてみた。  氏曰く、「昭和に街に出て撮った写真があるんです。それをまとめてみようと思っています。自分の写真を撮りながらもたまに外に出て街の人や風景を撮っていたんです。今はむしろそういう昭和の情景って素敵かなって思って」 002 自己・他者の関係において、「Dark Light(ダークライト)」のプロジェクトとは真逆のベクトルにある、昭和の写真プロジェクト。  正直私も驚いたが、内田氏と恵比寿の街を一緒に歩いている時に、街行く人に気さくに声をかける彼女の姿に感嘆した。他者との距離の近さ。それは内田氏自身の生まれ持った才能であり、彼女の「昭和の人々」の写真にもその人柄は十二分に表れていた。 内田京子 003幼少期から絵が得意な子供として育つ。高校時代は裸婦の木炭デッサンを学ぶ。しかし絵の具が苦手で、美大には行かず。その後デザイナー志望となり、桑沢デザイン研究所に入学。たまたま写真の授業で、カメラを持ったことから写真に夢中になり、現在に至る。写真学校の授業で、風景、街の人々、女友達等も撮影するも最後に行き着き、本にまとめた”Life-work”のテーマは、奇しくも、10代から描いていた”Self-portrait”だった。———-心を伴う形態”の表現に、必要不可欠な被写体は、“自分自身の身体”でなければならなかったのです——— 2013 Self-portraitの写真集 “Dark Light”, 出版 2014 第26回“写真の会”賞授賞 2016 ” Dark Light”の写真が, フランス国立図書館(BnF)に”購入収蔵” 2021 BnFの企画の展覧会に 出品予定(at Grand Palais in Paris) 過去の企画展……渋谷BUNKAMURA ザ・ミュージアム( 2020 )/ 東京都写真美術館/川崎市民ミュウジアム/ルーマニアコンスタンツァ美術館etc. 過去の個展 …….Nikon Salon 銀座/ ギャラリ-Place-M /Galleryアートグラフ/YW-ギャラリ-etc./ その他、グループ展多数/ 【参考文献】 Castro, E. B. V. (January 01, 2002). Cosmological deixis and Amerindian perspectivism. A Reader in the Anthropology of Religion, 306-326. <文/小高麻衣子>
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院人類学・社会学PhD在籍。ジェンダー・メディアという視点からポルノ・スタディーズを推進し、女性の性のあり方について考える若手研究者。
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