政権発足時の高い支持率は、菅義偉が7年半にわたる安倍政権で官房長官を務めていた実績に根ざしたものだった。あの7年半、菅義偉は鉄壁に見えた。安倍政権を幾度となく襲う困難を最前線で防御したのは彼だった。毎日開かれる官房長官記者会見では、記者から寄せられる意地の悪い質問にもそつなく答え、付け入る隙を与えなかった。国会答弁でも同じだ。安倍総理、麻生財務大臣をはじめとする当時の閣僚が、野党の質問に足元を掬われ言質を取られることは幾度となくあったものの、菅義偉官房長官がそのような醜態を晒すことは決してなかった。政権の藩屏としての能力は、歴代の官房長官と比べても突出したものだったことに間違いはない。
が、今の菅義偉にはその面影を求めるべくもない。ただ逃げ回り、影に隠れ、いるかいないのかさえわからない。そして四ヶ月にわたる逃避行の末、周囲からは、総理としてこれ以上の屈辱はないと言っていい”暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もない”という評価を下されるに至った。
おそらくこの変化は、
職責の変化に菅義偉本人がついて行けていないからこそ起こった変化だろう。
官房長官の職責は「内閣および政府の見解を公表すること」だ。官房長官は、語ることの主語を「内閣」や「政府」に限定し、「内閣としては」「政府としては」と語ることが求められる。菅はこの職責を果たすことはできた。だが、総理ともなればそうはいかない。どの局面でも総理は、「総理の見解」を求められる。
総理の職責とは、いついかなる時も「私」を主語にし、「私の見解」を述べることなのだ。しかし菅義偉にはどうしてもそれができない。いや、そもそもその経験も能力も欠如していると表現したほうが正確だろう。
安倍政権での官房長官経験以外、彼にはわずか11ヶ月間、総務大臣を務めた経験があるだけだ。党側の役職経験でも、三役(幹事長 総務会長 政調会長)の経験はおろか、それに準ずる幹部職を務めた経験すらない。閣僚経験・党役職経験ともに極めて浅い菅義偉のような人物が総理総裁の座に就任するのは、自民党の人材育成システムから見ても異例中の異例だ。彼が国会議員になる以前の議員秘書、市議会議員等々の経歴から見ても、この傾向は同じ。そもそも彼は「自分の意思」を「私」を主語にして「公に語る」訓練を受けていないし、その経験すらなかったのだ。訓練を受けておらず、経験もない以上、「私」を主語にし、その発言の責任を一身に負うという総理に求められる職責を果たせるはずがない。つまり、菅義偉には総理としての能力がそもそも欠如していたのだ。政府を率い、内閣の全責任を負う立場の総理大臣が「私」を主語に語ることができぬ以上、その内閣の支持率など上がるはずもない。リーダーたる総理が「私」を主語に語れぬのに、「その内閣を支持してくれ」という方が無理というものだろう。
コロナ禍という国難に際し、日本は、およそ総理の能力のない人間を総理に頂く不運に見舞われた。菅義偉が総理総裁に就任したこと自体は、自民党の党内政局の帰結なのだろう。しかしそれは、与党たる自民党が、この国難に際し有権者に提示できる答えとして、明らかに経験が浅く総理としての能力に欠ける菅義偉しか持ち合わせていなかったということでもある。
だとすると、組織としての自民党の責任は極めて重い。自己の組織の代表として、総理としての能力に欠ける人物しか担げぬというのならば、菅義偉だけでなく、自由民主党そのものが、”暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もない”との評価を受ける日が来るのも、時間の問題だろう。
<文/菅野完>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『
日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」も注目されている
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月刊日本2020年2月号>
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