アトラクションに愛情を抱く「対物性愛」の女性は、どのように幸せをつかむのか。映画『恋する遊園地』。
『恋する遊園地』が公開されている。実際の出来事に着想を得ており、題材としているのは人間や動物ではなく、建物や物に愛情を抱くという「対物性愛」だ。その具体的な魅力と、作品の意義について記していこう。
遊園地で夜間スタッフとして働き始めることになったジャンヌは、新しく導入されたアトラクションをふと目にする。その夜、ジャンヌがそのアトラクションに「ジャンボ」という名前をつけて呼ぶと、それに応じるかのようにライトに火が灯る。”彼”のすべてに魅了されたジャンヌは、その後も夜間に人知れずデートを重ねていく。
まず秀逸なのは、1人の女性がアトラクションと恋に落ちるまでの過程を、誰にでも「わかる」形で、繊細に映し出していることだろう。例えば、ジャンヌは無機質なアトラクションを無条件に受け入れているわけではなく、瞬間的に激しい一目惚れをしたような演出もされていない。明るい時に初めてジャンヌがその存在を知った時は、ワッフルを食べながら(遊園地にいる若者グループと比べるように)「なんとなく見ている」程度で、恋心と呼べるまでの感情を持っていないようにも見える。
だが、夜になると、ジャンヌはそのアトラクションの煌々と輝くライト、メタリックのボディ、流れる黒いオイルなど、1つ1つの要素に強く惹かれていくことが、美しい撮影と演出、何よりも主演のノエミ・メルランの喜びに満ちた表情で存分に伝わるようになっている。何より、ジャンボという名前を呼ばれてからは、“彼”はジャンヌの呼びかけにライトを照らすことで応えている様にも(あるいは偶然であるようにも)思えるのだ。
夜に光り輝くライトと、その中心に主人公の女性がいるという画は、それだけでロマンティックだ。夜にだけ、たくさんの来園者がいる昼間とは全く違う「本当の姿」を自分だけに見せてくれるような嬉しさは、対物性愛を全く知らなかった、理解できなかったという人であっても、きっとわかるだろう。
それでいて、本作にはR15+のレーティングがされており、「性愛」にまで踏み込んでいるというのが、挑戦的であり、また誠実だ。性的な欲求についてどう向き合うのかという、人によっては確実に抵抗感を覚えることでさえも、ロマンティックな物語および映像とのバランスを崩さない範囲で、十分に描かれているのだから。
なお、主演のノエミ・メルランは『燃ゆる女の肖像』(2020)においてリュミエール賞主演女優賞に輝くなど絶賛で迎えられている。本作と合わせて観れば、これからも世界的に評価されるべき女優であることが確信できるはずだ。
【もっと詳しく】⇒『燃ゆる女の肖像』18世紀の女性2人、一生にわたって意味を持つ、恋の光の影とは。
主人公のジャンヌが男性からのアプローチを苦手としており、それが明らかに彼女のプレッシャーになっているということが提示されているということも重要だ。
序盤では、ジャンヌが更衣室に着替えていると、新しいマネージャーであり上司である男がノックもせずにいきなり入ってくる。男は一応は謝って「(裸を)見ていないよ」などと言うのだが、実際はその後に彼女の背中をはっきりと見ている。果ては、両手で脅かす仕草をしつつ「俺が怖い?」と聞き、「女性は抵抗できないっていうけど、俺はそうは思わないな」などと勝手な自論を語る有様で、ジャンヌは応えずにその場を去る。
この男は、その後もジャンヌに何度もアプローチをかけ、あまつさえ家にまでやってきたりする。ジャンヌはそんな彼のことを完全には拒絶できず、家まで車で送るという彼の提案に乗ったり、彼の少し不遜なジョークに思わず笑ってしまったりもしている。
こうした、女性に対して抑圧的で、少しでも付け入る隙を与えればさらにグイグイ来る、しかもはっきりと性的な視線を向けているような男性像は現実でも決して珍しくないだろう。そのアプローチをはっきりと断ることをせず、なんとなく付かず離れずな距離感を保つしかないという女性の心境もまたリアルだ。
ジャンヌは他にも遊園地にいた若者グループからからかわれているし、不在の父親もまたジャンヌの男性不信の原因になっていたことも次第にわかってくる。だが、劇中の男性のすべてが悪いというわけではなく、終盤ではジャンヌの「本当の気持ち」を慮る人物が現れるということが救いにもなっている。対物性愛という題材を抜きにしても、男性にとっては女性への接し方について、学ぶところの多い作品であるだろう。
1月15日より、フランス・ベルギー・ルクセンブルク合作の映画繊細に映し出されるロマンティックな恋
男性からのアプローチの重荷
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