“昔なら入れなかったレベルの学生が東大に受かっている”!? 日本人の学力が低下し続ける原因とは

「そもそも親に読解力があるのか」

――読解力、文章力共に低下してしまった理由は何なのでしょうか。 高橋:そもそも本を読んでいないし、書く練習をしていないからだと思います。当たり前のことですが、インプットするからアウトプットできるんです。逆に、インプットがなければアウトプットできません。なので、読書量と読解力、文章作成能力は当然比例しますし、読書が読解力や文章力の元なんですね。読書の量と質が大切です。生徒に「君がゲームに費やした時間を読書に費やしていたらどうなっていたと思う?」とは常々言っています。  受験勉強ばかりやっていては本を読む時間がありません。そのことがかえって国語力の低下を招いている気もします。そして、今の時代は、直接役に立たないものに対して目を向けなくなっています。例えば、読解力ほどコスパで測れないものはないんです。本を読んだところで直接役に立つかどうかわからない。  ところが、親も世の中もそうなのですが「役に立つものほど良い、役に立たないものはダメ」という風潮が強い。子どもたちの読解力が落ちているのは、親の世代が受験は頑張ったけれども本を読んでいない世代ということもあると思います。  今は書斎がない時代ですよね。PCがあればいいと。生まれた時から家に本があるという環境がない。その環境では子どもに読むことの楽しさを伝えられない。「そもそも親に読解力があるのか」という話です。そして親の読解力のなさが子どもには伝わってしまいます。今、要約だけを書いた本が売れていますが、あらすじだけ読んでも仕方がありません。朝の読書会も流行っていますが、読書の習慣が定着していないのではないでしょうか。

幼稚な受験エリートたち

――国語は主に説明文と物語文(小説)に分かれるかと思いますが、苦手なジャンルの傾向はあるのでしょうか。 高橋:説明文は理屈で解けば何とかなるのでテクニックでカバーできる部分もありますが、随筆、小説のジャンルになると途端にダメになります。「僕は小説が苦手なんです」などと偉そうに言うんですよ。「小説がわかりません」というのは「人間の心がわかりません」と言っているのと同じです。生徒たちにも「人としてそれでいいのか」とは言っています。  僕が予備校教師を始めたのは1990年代初頭の終わりでしたが、当時は生徒の楽しみと言えば、マンガでした。ところが、今の子たちは本はもちろん、マンガすら読まないので人情の機微がわからないという印象です。  大学受験に登場する随筆文や小説文はある程度の精神年齢の高さも必要とされます。小説だと込み入った恋愛の話もあります。ある程度の人生経験があった方がいい。ところが、今の子は背伸びしません。「どんな本を読んだの?」と聞くと夏目漱石の『こころ』という回答が多い。教科書に載っているからです。しかも『こころ』が好きだと簡単に言うんですね。  僕らの時代はカッコつけで難解な哲学の本や岩波新書も買ったりしたものですが、今の子どもたちは教科書に掲載されている本を好きな本だということを恥ずかしいとすら思っていません。特に偏差値の高い中高一貫の男子校に通う子たちに共通してみられる特徴は「東大に入れさえばいい」という「幼い優等生」という印象ですね。 ※近日公開予定の続編では、母親が主導する受験の弊害について伺います。 <取材・文・撮影/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。
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