劇中の年代は1918(大正7)年。その頃は第一次世界大戦後の好景気に沸き、都市にはホワイトカラーが生まれ、大正浪漫の華やかさがあり、米の消費が伸び続け、ちょうど男性たちのシベリア出兵の噂も出ていたため、結果として米の価格が天井知らずに上がり続けてしまった。いくつもの要素が重なったため、貧しい町では極端な格差が生まれてしまっていた時代だったのだ。
この極端な格差社会は、2021年の現在にも通じている。新型コロナウイルスの第3波が訪れ、飲食や芸術に携わる多くの人々が経済的な打撃をさらに受け続けているが十分な保証は受けられず、一方で一部の資産家は私腹を肥し続けていたりもする。米価格の暴騰と、経済活動の自粛という違いはあれど、外的な要因により格差がさらに広がってしまうという図式が、劇中の1918年と、現在の2021年は共通していた。
©︎2021「大コメ騒動」製作委員会
そんな世相であっても、『大コメ騒動』における女性たちは勇気を振り絞って団結し、権力者に立ち向かおうとする。彼女たちの姿は「#MeToo」などの社会を変えた女性の声にも重ね合わせられるし、新聞社の青年のエピソードも現代のフェイクニュースのあれこれをほうふつとさせたりもする。はるか100年以上も前の出来事を描いているのにも関わらず、存分に現代との符号を感じる内容になっているのだ。
ちなみに、劇中で特に描かれているわけではないが、奇しくも1918年はスペイン風邪がちょうど流行の兆しを見せていた頃であったりもする。新型コロナウイルスが蔓延した今の状況と重ね合わせることができる作品は少なくはないが、ここまでの偶然の一致があるというのも稀だろう。
本作は、言わずと知れた社会現象を巻き起こしている『鬼滅の刃』とも重ねて語ることができるだろう。同作の時代背景は大正時代であり、劇中で明示されているわけではないが、年号が変わったばかりの大正初期を想定しているという説が有力になっているのだから。
『鬼滅の刃』もまた、強大な悪意に対して団結の力で立ち向かっていくという物語だ。『大コメ騒動』と『鬼滅の刃』を、ほぼ同じ時代の、別の理不尽な事象に対しての戦いの物語として観てみるのも面白いだろう。
さらに、今は「農林水産省の公式サイトが攻略に役立つ」ほどにリアルな稲作が楽しめることで話題を集めたゲーム『天穂のサクナヒメ』が大ヒットしている(こちらも『鬼滅の刃』と同様に“鬼“と戦う要素もあったりする)。コメというピンポイントな題材のエンターテインメントが、ちょうどほぼ同じ時期に生まれたという偶然もあったのだ。
そして、本木克英監督はこの『大コメ騒動』の大きなテーマについて「声を上げること、行動することが大事である」と語っており、「米騒動のイメージが変わるきっかけにもなってほしい」とも訴えている。
確かに、本作の根底にあるのは「女性たちの行動が歴史を動かす」という普遍的な社会の変革の物語であり、個人的に米騒動に抱いていた乱暴なイメージとは少し違っていた。そう思えたのは、理不尽な状況に苦しむ彼女たちの姿が(現代に重なっていたこともあって)リアルに感じられ、心から応援できたことがいちばんの理由だろう。
総じて、『大コメ騒動』は誰にでも共感できる親しみやすさを備えつつも、偶然と呼んでしまうだけではもったいない現代との符号があるため、社会問題をより考えるきっかけにもなる、確かな意義がある映画だ。誰もが不安を抱えている今こそ、(途中が苦しくはあっても)最終的には正月明けにふさわしい前向きさや爽快感も得られる本作を、ぜひ劇場でご覧になってほしい。
<文/ヒナタカ>