安倍前首相は国会で答弁を「訂正」するはずではなかったのか?

どの答弁がどう訂正されたのか

 安倍氏のこの時の発言をもう一度、確認してみよう。「事実に反するものがあった」と語られるだけでは、正誤表の「誤」の欄だけが記載されるのと同じだ。  しかも安倍氏は「この4点について」と語っているが、それが何を指すのか、判然としない。安倍氏が読み上げた内容は下記であり、4点ではなく5点であるように見える。このうちどれとどれをまとめて4点とみなしているのかも、わからない。 1. 安倍晋三後援会は夕食会の主催はしたものの、契約主体はあくまでも個々の参加者であった。 2. 後援会としては収入もないし、支出もしていない。 3. したがって、政治資金収支報告書に記載する必要はないと認識していた。 4. 夕食会における飲食代、会場費を含め、支払いは個々の参加者からの支払いで完結していた。 5. 以上から、政治資金規正法などに触れるようなことはないとの認識である。  正誤の問題に戻れば、「同夕食会の開催費用の一部を後援会として支出していた」という「新たに判明した事実」が冒頭発言で語られていたので、上記の「2」については、正しくは支出があった、ということはわかる。  しかし、例えば「1」の「契約主体はあくまでも個々の参加者であった」という過去の答弁については、事実はどうであったのか。この冒頭発言の中で、安倍氏は何も語っていない。本来であれば、「正しくは、契約主体は〇〇でありました」というところまで語って初めて、答弁の「訂正」となるはずだ。

本来報じられるべきだった、「訂正」なき冒頭発言

 だから、本来はこの議院運営委員会の様子を報じる際には、まず、 ● 安倍前首相は答弁の訂正を求めて国会に出向いた ● しかし冒頭発言で安倍氏はどの答弁をどう訂正するのか、明言しなかった。答弁の中には事実に反するものがあったとするのみであった。 ● 後援会による支出の補填があったという、検察の調査によって認められた事実は、「新たに判明した事実」として語られたが、それ以外は、過去の答弁について、具体的な訂正をせずに質疑に臨んだ。 ということが報じられるべきだった。なのに、それが報じられなかった。  なぜ、あの場で質疑に移行することを止めたのか、吉川沙織議員にも取材して記事にすべきだった。しかし、おこなわれなかった。かろうじて東京新聞が26日「こちら特報部」で下記のように報じたが、「反発」という表現〈参照:連載第8回〉では、問題が伝わらない。 “参院で議員運営委員会が始まったのが午後三時十五分。安倍氏が「結果として(過去の)答弁の中には事実と反するものがあった」と語りだすと、野党議員たちは「具体性に欠ける」と反発して委員長の周りに集まり、一時中断した。”  安倍氏の冒頭発言では適切に答弁の「訂正」がおこなわれなかったからこそ、そのまま質疑に入ることはできないと、吉川議員が議事進行に異議を唱えたはずなのだ。不当な妨害行為ではなく、正当な介入であったはずだ。なのに、なぜ「反発」なのか。  「具体性に欠ける」と、という表現も的確ではない。「具体性に欠ける」というのは委員長の言葉だ。吉川議員らは、「具体性に欠ける」と漠然と指摘したのではなく、「これでは訂正とは言えない」と指摘したのだろうと思う。しかし、記者は吉川議員には取材しておらず、吉川議員の行動の意図は明らかにされないままとなっている。  「反発」という書きぶりの問題点は、「政治と報道」をめぐる短期集中連載の第8回で指摘した通りだ。「反発」という言葉は、理がなく感情的にリアクションを返しているように見える。このときの吉川議員の行動は、「反発」ではなく「抗議」だろう。  この東京新聞「こちら特報部」の「『桜』疑惑 安倍氏国会質疑」という記事(中山岳、榊原崇仁の署名入り)のリード文では、下記の通り、これが「答弁を訂正する」場であったことを正しく伝えていた。 “「桜を見る会」夕食会をめぐる政治資金規正法違反事件で、不起訴となった安倍晋三前首相が二十五日、国会で、「答弁を訂正する」との趣旨で、事件に関する説明を行った。”  それだけに、この書きぶりは残念だ。  またこの記事には立憲民主党の辻元清美氏の質疑について、こういう記述もある。 “言葉ばかりの反省に「何をしにここに来られた」「相変わらず変わっていない」といらだちをぶつけた辻元氏。”  この「いらだちをぶつけた」という表現も、適切ではない。実際の映像を衆議院インターネット審議中継からご確認いただきたい(0:48:04~)が、辻元氏は感情を抑えて、実に冷静に安倍氏に迫っている。  冷静に迫っているからこそ、その質疑には凄みがある。なのに、「いらだちをぶつけた」と表現すると、これもまた、理もなくワーワーと騒いで見せているように見えてしまう。  なお、26日の朝日新聞は、下記の社会面の記事のリード文では、“安倍氏自らが「説明したい」と申し出ての実施だったが、詳細を語る場面はなく、「秘書任せ」「他人任せ」の姿勢に終始した。”と記している。 ●秘書任せの安倍前首相 田原氏も「全く緊張感感じず」(朝日新聞 2020年12月26日)  自らの申し出による場だったということはこの記述でわかるが、しかし、「説明したい」と申し出たのではない。「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」と安倍氏は申し出たのだ。  その違いは看過すべきではない。「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」を「説明したい」と言い換えることは、国会という場の重みを報道が軽視してしまうことになるからだ。
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答弁を「訂正」したいという求めを報道が看過するとどうなるのか?
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『日本を壊した安倍政権』

2020年8月、突如幕を下ろした安倍政権。
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