催涙スプレーを浴びながら撮影。香港民主化運動を捉えたドキュメンタリー『香港画』 監督インタビュー

「頼むから伝えて欲しい」と言われて

――デモ隊の側から撮影した映像には迫力がありました。警察に自分が殴り掛かられているかのような感覚がしました。 堀井:弾圧を受ける側にならないと撮れない映像があると思ってデモ隊について回りました。彼らはいつでも逃げられるようにジャージとスニーカーという軽装備なのですが、自分も同じような恰好をして、すぐに飛び回れるようにしていましたね。
(C) Ikuma Horii

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 デモ隊の中には自分たちを警戒する人もいましたので、聞かれたら映画を撮影しているという話はしました。「皆さんの様子を日本に伝えたい」と言うと、「頼むから伝えて欲しい」と背中を押してくれましたね。  彼らは自分にはない青春を生きていると感じました。「理想とする国家を追っている」という若さを感じながらの撮影でした。 ――12月24日の大きな衝突の時に催涙スプレーを浴びたとのことでした。 堀井:それまでに何度も浴びていましたが、あの時は顔を直撃したので本当に痛かったですね。また、催涙スプレーを浴びただけではなく、二度ほど路上で身体拘束も受けました。  また、同行していたプロデューサーの前田(穂高)は放水車の衝撃を受け、負傷しました。放水車の水には催涙成分が混入されており全身に強い痛みがあったようです。その場でボランティアの救急隊に治療して頂き、事なきを得ましたが、その後シャワーで体を洗っても肌の赤みや腫れは収まりませんでした。

「香港人」というアイデンティティ

――香港がイギリスから中国に返還され、一国二制度が導入されたのは1997年ですが、運動の中心はそれ以降に生まれた若者たちなんですね。 堀井:年齢層が低くなればなるほど自分たちは「香港人」だと名乗ります。返還以降の人たちの方が強く香港的なアイデンティティを醸成しています。高齢者の方が中華的アイデンティティを持っているという印象ですね。  というのも、返還前のイギリス統治下の香港は自由を確保されていた空間で、若者たちはそれを知らないものの、存在していた自由を奪い取られようとしているという感覚が強いんです。
(C) Ikuma Horii

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 上の世代は元々自由のない環境で育って、香港に移住して自由を満喫したという感覚が強いようです。孫に向かってデモへの参加を辞めるように叱責しているという話も聞きました。デモ隊の中には、家庭内での不和により家出している子たちもいましたが、彼らは、同じ志を持つ仲間の家に泊まったり、友達の家を泊まり歩いたり、金銭的な援助をしてくれる運動家の元に身を寄せていました。香港社会は共助の意識、仲間意識があるのでこうしたことが可能なんです。 ――中間層の40代はどのような感じなのでしょうか。 堀井:私が話を聞いた40代の女性は、罪悪感を持っていると言っていました。自分たちが香港で過ごした90年代は、お酒を飲んでディスコに行ってカラオケをして享楽的な人生を過ごしていたけれども、そのツケを下の世代が払っていると。なので、デモや破壊行動などには参加しませんが、金銭的に形で彼らの行動を支援している人たちもいるようです。
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若者たちの不満の原因
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