AI婚活が推し進める「同類婚」と抵抗としてのルッキズム

抵抗のルッキズム

 「夢」のない話です。これまで、AIがもたらす悲観的な予測を並べ立ててきました。しかし私は絶望的な状況だとは考えていません。  AI婚活システムは成婚率の飛躍的な向上をもたらしましたが、それはけっして100%には至らないのです。ビッグデータ分析によってジャストサイズにあてがわれた相手を、それでも拒否する人々が数多くいるのです。  おそらくこの新世代システムにとって克服できない最終的な障壁となるのは、顔、ルッキンへのこだわりです。堅実な同類婚を阻む、ルッキンへのこだわり。相手の顔が好きかどうかというのはとても重要なことで、幼稚なこだわりだと言われようがなんだろうが、人々がこれを手放すことはありません。ここでは、対抗的な判断基準としてのルッキズム、「抵抗のルッキズム」というべきものがあって、それは結婚という場面において、人間の自由意志の最後の砦となるのかもしれない。

「顔」は生得的で静的だという誤解

 顔というものは、多くの誤解にまみれた要素です。それは一方では、生得的なものだと考えられたり、静止画のデータによって識別できる要素だと考えられたり、比較できるものだとみなされたり、ひじょうに軽く扱われることが多いのです。しかし、恋愛や結婚という場面で「この顔は好きになれない」と感じたとき、顔というものが本当は表面でも外見でもない、ひじょうに奥行きがある要素であることがわかります。顔はデータ化できないし、統一的な尺度で比較衡量することもできないものです。顔は静的ではなく動的で、さらに言えば、自己生成する運動の軌跡でもあります。顔、ルッキンを、たんなる外形的な情報とみなすのは、間違いです。かっこいい男になる、かっこいい女になる、という営みは、ビッグデータ分析では把握することができない、より高次のダイナミズムに属している。人はそこを見て、好いたり嫌ったりするのです。  生まれた境遇がどうであれ、教育水準がどうであれ、かっこいい男はかっこよくて、かっこいい女はかっこいいのです。人間は、自分の置かれたケージのなかで交配の機会を待つ受動的な存在ではありません。人間はかっこいい男/女になろうとする能動的な営みに開かれていて、人はそこを見ているのです。 <文/矢部史郎>
愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。
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