ガスマスクが配られる国で夫婦喧嘩が勃発する映画『声優夫婦の甘くない生活』の魅力

声優夫婦の甘くない生活 12月18日より、映画『声優夫婦の甘くない生活』が公開されている。タイトルやパッと見の雰囲気から、熟年夫婦のほっこりしたドラマを想像されるかもしれない。しかし、実際の本編は良い意味での“毒っ気”も存分に含んだ、なかなかに刺激的な内容となっていた。  公式サイトやポスターのビジュアルをよく見てみると、映画館の席に座る主人公2人の後ろに、ガスマスクをつけた観客がいたりもする。これは、1990年のイスラエルの世相が反映された設定でもあったのだ。作品の具体的な魅力と特徴を、以下に記していこう。

熟年夫婦の第2の人生がとんでもないことに

 ハリウッドやヨーロッパ映画の吹き替えで活躍していた声優夫婦のヴィクトルとラヤは、念願かなってソ連からイスラエルへと移住する。だが、彼らを待っていたのは声優の仕事がないという厳しい現実だった。やがて、ラヤは夫に内緒で就いたテレフォンセックスの仕事で意外な才能を発揮する。一方、ヴィクトルは違法な海賊版レンタルビデオ店で再び声優の職を得ることになる。 声優夫婦の甘くない生活 かつてのスター声優だった夫婦が、片や性サービスの職業に就き、片や完全な犯罪行為に加担するという、とんでもない立ち上がりの物語になっている。妻はそのことに後ろめたさを感じて夫にはなかなか話せず、夫も違法の上に待遇の悪い仕事に従事することを余儀なくされる。60歳を超えて第2の人生をいざスタートさせたはずなのに、ちっとも思う通りにならないという彼らの七転八倒ぶりは、それだけで面白い。  描かれている出来事は極端ではあるが、この「熟年夫婦の再出発」は普遍的なテーマでもある。これまでのキャリアが通用しないという挫折感を味わい、それでも道を切り開こうと向上心を持ち、少し行き過ぎた言動をしつつも、夫婦が切磋琢磨するという過程は、世界中にありふれているものだ。  また、「妻のテレフォンセックスという仕事に、いつ夫が気づくのか?バレた時には修羅場になってしまう!」ということが、ハラハラドキドキするサスペンスにもなっている(しかも妻にはその他にもある“秘密”ができてしまう)。また、妻が長年培ってきた声優としての技術を生かすことができ、その持ち前のセクシーな声のおかげで多くのお客を喜ばせていて、しっかりと仕事をしているということは事実であるし、「(犯罪行為に加担していたりもする)夫に偉そうに言われる筋合いはない」という妻側の理屈も通るだろう。そこから夫婦の関係がさらにこじれていく過程がまた毒っ気たっぷりなため、苦笑いしつつも大いに楽しめるのだ。 声優夫婦の甘くない生活 また、彼らが声優という他人の声をあてる職業であるはずなのに、その夫婦間で隠し事があり、素直になれないでいるというのも、良い皮肉になっている。「他人のセリフならうまく言えるのに、自分の心は伝えられない」のだから。これもまた世界中に普遍的にある、長年にわたって共に過ごしていたにもかかわらず(だからこそ)心が離れてしまうという、熟年夫婦の離婚の危機そのものだろう。

歴史的事実を反映した移民たちの事情

 映画の冒頭において、声優夫婦は大勢の移民たちとともにイスラエルの空港に降り立っている。これは、冷戦時の緊張状態を表す「鉄のカーテン」が解けた、1990年当時の歴史的事実を踏まえている。 声優夫婦の甘くない生活 1989年からソ連の出国制限が解除されてユダヤ人の出国ラッシュが始まり、“ユダヤ人国家”を標榜するイスラエルは、ユダヤ人とその家族を歓迎していたという。そのため、イスラエルに移民したユダヤ人とその家族は2000年代までに累計120万人、当時のイスラエル人口の2割にまでのぼったそうだ。  だが、ユダヤ文化と疎遠になっていた移民たちは、以前は高学歴に見合う職についた就いていたとしても、イスラエルでは言葉の問題により、しばらくは低賃金労働者となることも多かったのだという。劇中で声優夫婦がロシア語での声優の需要がなく、ヘブライ語を学びながら仕事を探さなくてはならなくなったのも、この歴史的事実の反映だろう。  なお、本作を手がけたエフゲニー・ルーマン監督も11歳の時、1990年に家族とともにイスラエルに移住しており、冒頭の空港に降り立ったシーンは、監督自身がイスラエルに来た時と同じ空港で撮影が行われたのだそうだ。しかも、海賊版ビデオ屋で借りたロシア語吹き替えの映画を観ながら育っていたという。監督自身の子ども時代の経験も、つぶさに作劇に反映されているのだ。
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ガスマスクが配られる理由とは?
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