世の中には、本当にお金がなくて困っている人はたくさんいる。今年は特に厳しい状況に置かれている人は多い。そんな中、国会議員が開催した「お金配りキャンペーン」は、まるで「カネが欲しけりゃ靴を舐めろ」と言っているに等しい。
お金をもらうためには、まず丸山穂高のTwitterをフォローしなければならない。どれだけ丸山穂高のことが嫌いでも、お金が欲しければ、その小さなプライドを捨てて跪けというわけである。それだけでは終わらない。お金が欲しければ、丸山穂高様がお金を配っていらっしゃることを自分のフォロワーに宣伝し、さらには、どうしてお金が必要になってしまったのかを明かさなければならない。どうしてお金がないのか、どんな環境に置かれているのか、シングルマザーなのか、会社を解雇されたのか、なぜ貧困に陥っているのかを、恥ずかしながら、その経緯を赤裸々に語らなければならない。
しかし、10万円がもらえるのは、たったの7人。多くの人は、丸山穂高をフォローし、丸山穂高の宣伝を担い、お金に困るようになった経緯を恥じらいながらも世界に晒し、1円ももらえない。ただ多くのマイナスを背負わされただけで、何のメリットもない。
たった7人を幸せにするために、とても多くの人を不幸にする構造を、国会議員自らが作り出しているのである。
丸山穂高は、ボーナスの3分の1を「お金配りキャンペーン」に使い、
残りの3分の2は医療機関に寄付するとしている。
最初から医療機関に全額寄付すればいいものを、なぜ「お金配りキャンペーン」をしているのか。表向きは問題提起のためだと言っているが、結局、フォロワーを増やし、丸山穂高がお金を配る「オモシロ企画」をやっていると多くの人に知ってもらいたいということに他ならない。ただ困っている人にお金を配りたいだけなら、わざわざフォローさせる必要はない。リツイートをすればするほど倍率が上がり、もらえなくなってしまう可能性が高まってしまうので、それなら「いいね」の方がいい。あえて自分に当たる確率を下げさせてまでリツイートを要求するということは、すなわち丸山穂高の宣伝だ。ましてや公選法違反が心配なので、近畿地方で暮らしている人には当たらないという。そう言っている時点で、実に不公平な制度だ。
国会議員が国民の困窮対策をするなら他にやることがある
丸山穂高のツイートには、多くの生活困窮者から生々しい声が寄せられている。ある人は、母の認知症が進行し、介護のために休職を相談したら退職を勧告され、再就職を目指すが蓄えがなくて困っている。ある人は、母子家庭でお金がないのに暖房が壊れ、子供たちも朝が寒い。もっと贅沢を言うならクリスマスケーキやチキンを食べさせてあげたい。ある人は、派遣切りに遭って心身ともにボロボロで、体を売ることさえ考えている。ある人は、父が肺がんを患い、入院や通院治療を支えるために母も自分も働き詰めで、母は10年も前に亡くなった姉の墓参りができていないから、せめて元気なうちに墓参りをさせてあげたいという。どの訴えも切実で、藁をも掴む思いで応募しているはずだ。
本来、丸山穂高がやらなければならないことは、
こういった人たちを一人でも多く助けるために、与党にも、野党にも、メディアにも働きかけ、1ミリでも2ミリでも解決に向けて「政治を動かすこと」である。しかし、丸山穂高はこうした悲痛な叫びの中から、ただフィーリングの合ったものを7つピックアップし、10万円を振り込むだけである。「国会議員のボーナスが高すぎる」という丸山穂高の主張が多少伝わったところで、訴えている人たちの暮らしが良くなることはない。
どれだけ炎上しても「話題になった」と喜ぶだけの迷惑系YouTuberたちの政党であるがゆえ、私がこうして記事にしたことも、まんまと引っかかって大きな話題にしてくれたと喜ぶことだろう。しかし、私が書いているのは丸山穂高の主張ではなく、丸山穂高という国会議員が、生活に困窮している庶民の足元を見て自己顕示欲を満たす人間だということ、そして私はそう言う人間は最低だと考えているということだ。
例えば、こうした苦しい生活をしている人たちにとって、NHKの受信料というのは非常に重たい負担になっているはずだ。なのに、NHKの受信料問題に取り組むというワンイシュー政党でありながら、今日の今日までろくすっぽ進展がない。この問題を自民党が多少頑張っているが、それは自民党の努力であって、NHKから国民を守る党のお手柄ではない。ましてや丸山穂高の影響力なんて1ミリもない。たまに過激なことを言って紙面を賑わせたり、非常識な行動をやって炎上するだけの「迷惑系YouTuber」でしかないのだ。