2020年12月1日、ベルリン・ミッテ区の区議会は、同区に設置された「平和の像」の恒久設置に向けて、手続きを進める決議案を採択した。「平和の像」はアジア・太平洋戦争における日本軍「慰安婦」を象徴し、全ての戦時性暴力・性奴隷制に反対する意味が込められている。
この件は日本と韓国で注目を集めており、この決議は地元ドイツよりも早く、両国で報じられた。
「平和の像」は今年9月末、民間団体の「コリア協議会」の主導で、約1年間の期間限定で、ミッテ区のモアビート地区に設置された。ベルリンでは2019年、「あいちトリエンナーレ」で展示されていた「平和の像」と同じ作者によるモニュメントが、期間限定で設置されている。女性芸術家グループGEDOKが主催するイベントで、ブランデンブルク門前に展示されていた。
日本政府の妨害を想定して、「平和の少女像」の設置計画は、可能な限り秘密裏に推進された。9月末、設置の事実が日本社会に知られるや否や、この戦時性暴力を記憶するモニュメントに対して、官民ぐるみでの排撃が始まった。ミッテ区だけでなく、ベルリン州およびドイツ外務省にまで日本政府は抗議を伝えた。これを受けて、ステファン・フォン・ダッセル区長は10月7日、像の撤去を命じた。外務省や州内閣などからの圧力があったのではないかといわれている。
しかし、この撤去命令は、ドイツにおいて政治的・社会的な反発を呼んだ。像の設置を主導した「コリア協議会」は、像の前での反対集会や、区議会議員へのロビー活動を行った。代表のハン・ジョンヒによると、特に左翼党の議員は、戦時性暴力の問題として熱心に話を聞いてくれたという。フォン・ダッセル区長の所属政党である緑の党の所属議員たちからも区長への批判が起こった。韓国人女性をパートナーとするゲアハルト・シュレーダー前首相もこのモニュメントへの支持を表明した。
「コリア協議会」が効力停止の仮処分を裁判所に申請したことで、ひとまず即時撤去は回避された。区は妥協案を探ると発表した。11月7日には区議会が撤去命令を撤回する決議案を採択し、当初の予定通り1年間は撤去されない見通しが高まっていた。
ミッテ(Mitte=中心)区はその名の通りベルリンの中央部にあり、国会議事堂や連邦首相府などの政府の諸機関や、ベルリン中央駅が立地する中心地区である。博物館島、ウンター・デン・リンデン、ポツダム広場のような世界的にもよく知られている名所も多い。各国の大使館も集中している。森鴎外はベルリン滞在時にこの地に住んでおり、記念館もある。
以前「平和の像」の期間限定の展示が行われたブランデンブルク門もこのミッテ区にある。「平和の像」が設置されたモアビート地区は、ティーアガルテンの北側にある、シュプレー川沿いの住宅街である。
ベルリンは伝統的に左派が強い州であり、ミッテ区の議会構成も、緑の党・社会民主党(SPD)・左翼党で3分の2以上を占めている。前述のとおりフォン・ダッセル区長も緑の党出身だ。撤去命令を撤回する決議でも、キリスト教民主同盟(CDU)、自由民主党(FDP)など右派系野党や、極右政党ドイツのための選択肢(AfD)は、日韓の係争に関与すべきではないなどとして反対に回っている。ちなみに今回の決議でもAfDは反対したが、地元紙「ターゲスツァイトゥング」によれば、その理由は、「ドイツと日本は第二次大戦において同盟関係にあった」ことだという。
設置存続のための決議が通った背景には、こうした議会の力関係の影響もあるだろう。