以前の記事で、これまで「平和の像」がドイツで展示されるたび、必ず日本政府から抗議されていることを紹介した。ベルリン・ミッテ区の「平和の像」に対しても、日本から激しい抗議活動が行われた。日本政府の正式な抗議だけでなく、与党自民党の有志議員や、姉妹都市である新宿区などの地方自治体、民間の右派団体からも個別に抗議の書簡やメールも送られた。
しかし、そうした日本側の抗議はほぼすべてが歴史修正主義的なもので、差別的なものである。そしてそれは現地の関係者に見抜かれていた。前回の
記事でも紹介した「なでしこアクション」がミッテ区の区長にあてた手紙は、正常な判断能力がある者からみれば怪文書としかいえないものであるが、その中では「嘘をつくことは韓国人の特徴」などの読むに堪えない記述が詰め込まれている。
今回、当初の予定だった一年間の設置のみならず、より踏み込んだ恒久的な設置を視野にいれることが決議されたのは、日本政府・右派のこうした歴史修正主義的・差別的な抗議を受けて、問題の深刻さが改めて認識されたせいもあるだろう。
地元紙「ターゲスシュピーゲル」の12月4日の記事によれば、区議会の議論で、CDUやFDPの議員は、碑文を広く戦時性暴力の問題全般を取り扱うものに書き換えることを提案したが、左翼党や緑の党の議員によって拒否された。緑の党のイングリット・ベーターマン議員によれば、この問題は「戦時性暴力一般の問題だけには留まらない」のであり、日本が行っている歴史修正主義を受け入れてはならないという理由であった。
恒久設置推進の決議を受けて、12月2日、加藤勝信官房長官は、「我が国の立場とは異なる」決議だとして「残念だ」と述べ、これからも撤去に向けて動いていくことを表明した。一方、地元紙「ターゲスツァイトゥング」は同日の記事で、以下のように評した。「日本の右翼政治家が今日まで理解していないのは、彼らが政治的なオウンゴールを決めてしまったことだ。なぜなら、彼らが歴史的な事実に躍起になって抵抗したことによって初めて、この『平和の像』が注目されるようになったからである。その帰結が今日の、像のさらなる永続的な設置許可なのだ」
これまで「平和の像」に対する日本政府の抗議は、必ずといっていいほど現地の強い反発を生んでおり、日本軍「慰安婦」の問題がドイツでより知られるようになるきっかけをつくっている。ベルリン・ミッテ区の例も、そのパターンのひとつに数えられることになるだろう。
ここまで「日本側」と書いてきたが、日本人の中にも像の設置を支持し、署名活動など積極的に支援してきた人々もいることは言及しておかなければならない。また、像の設置には、現地日本人の協力もあった。
「平和の像」の恒久的設置が正式に決定された場合、これはヨーロッパで最初に「平和の像」が、公有地で、恒久的に設置される例となる。2016年、フライブルク市での「平和の像」設置が頓挫して以来、私有地への設置や期間限定の展示はあったものの、公有地に恒久的に設置された例はこれまでなかった。ミッテ区のモニュメントも、当初は1年間の限定だった。
以前の記事でも指摘したが、日本の「歴史戦」は恥ずべき振舞いであり、一刻も早く止めなければならない。戦時性暴力の記憶を継承するために、「平和の像」は日本にもつくられるべきだ。しかし現状でそれが叶わないなら、世界の様々な場所で日本軍「慰安婦」の記憶が継承されていくことは、とりあえずはよいことに違いないだろう。
<文/藤崎剛人>