『燃ゆる女の肖像』18世紀の女性2人、一生にわたって意味を持つ、恋の光の影とは。

恋の光と影を体験させる脚本

 セリーヌ・シアマ監督は、恋愛における“光”と“影”に迫ろうと決意し、脚本を執筆したのだという。その光とは、恋に落ちる瞬間のときめきと、徐々に高まっていくという愛しさ。対して影とは、運命に引き裂かれた愛がもたらすものなのだという。

(c) Lilies Films.

 本作の主人公2人の関係は「見合いのための肖像画を描く画家とそのモデル」であるため、恋をしたところで、その時間は必然的に見合い相手との結婚までに限られている。本作の「期間限定の恋」は、その恋愛における光と影を残酷なまでに描いていると言っていいだろう。  そのような事情でなくとも、18世紀のフランスの女性たちは、自分たちの将来(結婚の相手)がすでに決められていることを受け入れざるを得なかったこともあるのだろう。実際にシアマ監督は、「当時は女性たちの欲求が禁じられていたとしても、好奇心旺盛で恋愛することを望んでいたという事実は現在と変わりません。私は、彼女たちの友情や問いかけ、ユーモア、そして走ることへの情熱に報いたかった」と語っている。
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(c) Lilies Films.

 本作は映画という媒体で、当時の女性の運命に縛られない、それこそ「燃えるような恋」への情熱や憧れ、もしくは彼女たちも隠れて恋をしていたという事実を示している、と言ってもいいだろう。その恋愛の光と影は、実際に影のコントラストが際立つ画としても表現されており、より主人公2人の恋が儚く切ないものとして感じられるようになっている。

注目してほしい表情の変化

 本作は最初に掲げた通り絶賛に次ぐ絶賛で迎えられているが、様々なイベントが起こるようなエンターテインメントではない。前述したようにあらゆる事柄がミニマムかつ限定的であり、大仰な演出は一切なく、テンポがゆったりとしていることもあって、退屈に感じてしまう方も一定数はいるだろう。  だが、ここに注目すればスリリングに楽しめるかもしれない、という具体的なポイントがある。それは、“表情”だ。役者の表情をじっくりと捉える画も多く、その表情の機微だけで、彼女たちの関係がゆっくりと、時には劇的に変化していることがわかるようになっている。
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(c) Lilies Films.

 例えば、モデルであるエロイーズは、親が決めた未来に心を閉ざしていて、1度も笑うことがなく、画家のマリアンヌは肖像画の制作がうまく進められないでいた。そんな時、マリアンヌが「好きな曲です」と言いつつ、ヴィヴァルディの協奏曲「夏」の一節を奏でると、初めてエロイーズは笑顔を見せる。この笑顔が彼女たちの心の動きの“基点”となっていたことは、最後まで観ればきっとわかるだろう。  また、物語においても、「モデルのエロイーズの姉の死の謎」や「召使いの少女のソフィの悩み」などの軸が存在し、ミステリーを解き明かしていくかのような面白さがある。様々なイベントが起こるようなエンターテインメントではないと述べたが、要所要所に「先が気になる」という娯楽性は十分に用意されている。言葉でベラベラと説明しない、画や役者の表情で語るという、極めて“映画的”な見せ方に着目すれば、この『燃ゆる女の肖像』はさらに興味深く観られるはずだ。  そして、セリーヌ・シアマ監督は、この映画で描かれる愛について、こうも語っている。 「相手と一緒にいるとかいられるかでなく、築いた関係によって自分がどう成長し、どう心が解放され、自分自身を見つめなおし、知らなかった自分に近づけるのか、ということを語っています。別れてしまっても過去のものになるわけではなく、一生意味を持って影響を持ち続けるということを描きたいと思いました」と。  愛とは、たとえ別れてしまっても、一生にわたって意味を持ち続ける。これも普遍的な真実であるだろう。圧巻のラストシーンを見届ければ、そのことを誰もが実感できるはずだ。 <文/ヒナタカ>
雑食系映画ライター。「ねとらぼ」や「cinemas PLUS」などで執筆中。「天気の子」や「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる記事がおすすめ。ブログ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」 Twitter:@HinatakaJeF
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