人種差別を真っ向から描いたNIKEのCMは、なぜ作られたか? 社会は変わる。怒れる年長者を置き去りにして

キャパニックのCM後、そのCMは賞を受賞した

 ナイキは株式会社であり、利益を最大化することを目的にした企業です。そして、簡単に言えばこのキャンペーンは非常に効果的でした。 “結果として同広告は、24時間で4300万ドル(約47億5000万円)相当のメディア露出価値という驚くべきエンゲージメントを生み出し、直後のオンラインで驚異的な売り上げを記録。そして、同社史上最高値の株価となる86.06ドル(約9638円)を更新するなど、18年6〜8月期決算で売上高が前年同期比10%増の99億5000万ドル(約1兆1144億円)という成長を支える要因となっていた。”〈参照:ナイキのコリン・キャパニックを起用した“炎上”広告が、広告誌の最優秀賞を受賞|WWD Japan〉  ということで、冒頭の質問……「なぜこのような『社会的な』CMが作られたのか?」に答えるのであれば、それは「それが売上につながっている」ということです。

「年長の怒れる白人男性」はターゲットではない

 彼らがターゲットにしているのは、社会問題に関心を持ち、人種差別に怒り、またそれらをSNSで拡散する力を持っているミレニアル以降世代、つまりZ世代などであり、ニューズウイークの言葉を借りれば「年長の怒れる白人男性」ではない、ということです。 “市場調査会社NPDグループのシニア・アドバイザー、マット・パウエル氏は、不買運動はやがて収まるとの見方を示した上で、「年長の怒れる白人男性」はナイキの主要ターゲット層ではない、と説明した。“〈参照:最終的に勝つのはナイキか、国歌斉唱で起立拒否の選手の広告起用で|NewsweekJapan  ということはつまり、日本においても、今このCMに怒り狂う人たち……つまりは「年長の怒れる男性」はターゲットではない、ということになります。  だから、例え彼らが怒ったとしても、ナイキは自らのブランドイメージが持つ物語……つまり「周りの状況に負けずに自らの限界に挑戦し続ける」という物語を、発信し続ける、ということです。 ●私が「朝鮮」と「在日」を背負う理由 在日女子サッカー界のパイオニアが掲げる”使命”|Football ZONE  ところで、このCM、私が感じた最も素晴らしい点は、「今日本に存在する」人種差別をきちんと描いていることです。アメリカの「黒人差別」という問題は、日本人にとってはどこか遠いものとして描かれがちです(日本においても存在するのですが)。  アメリカは差別的だが、日本はそうではない、というような間違った認識を描いている人もいる。アメリカのCMをそのまま輸入して翻訳するだけでは不十分なのです。  近年大坂なおみ選手を筆頭に、多様なルーツを持つ選手が注目されています。しかしこのCMではそれだけではなく、在日朝鮮人や民族衣装を着る少女など、日本に根深く存在する朝鮮人差別を描いている。これは、日本の広告史においてはエポックメイキングな出来事ではないか、と感じます。  BLMなどの「海の向こうの」問題が、我々の日々生きる社会と地続きであることがよく分かる構成になっているのではないでしょうか。

「怒れる年長男性」を置き去りにして社会は変わる

 さて、ここまで書いてきましたが、ナイキのこのCMは商業的な実績に基づくものであり、それが商業的な意味を持つものであれば、これからもこのような形のCM・プロモーションは作られ続けるでしょう。  ターゲットではない人たちを置いてきぼりにしながら、社会は変わっていきます。  さて、もしあなたが「怒れる年長の日本人男性」であるならば、おそらくこの記事を読んでも怒っているでしょう。怒りを鎮める役に立つかはわかりませんが、そんな方に向けた、詩の一節をご紹介します。 “そこは年老いたもののの国ではない。(That is no country for old man.)”(ウィリアム・B・イエーツ「ビザンティウムへの船出」) <文/遠藤結万>
えんどう・ゆうま(Twitter ID:@yumaendo/筆者のnote)●早稲田大学卒業後、グーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。中小企業向けセールスとアジア太平洋地域の分析を担当。退社後、CMO株式会社を設立し、インハウス化やマーケティング戦略支援、マーケティング教育などを手がける。デジタルマーケティングについてなどを「ブログ」にて執筆・公開中。著書に『世界基準で学べる エッセンシャル・デジタルマーケティング』(技術評論社)
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