急死した天才、ディエゴ・マラドーナ。アルゼンチンが国葬、3日間の喪に服す

コロナ禍の無観客試合を嘆いていたマラドーナ

 心の闇を抱えていたマラドーナだったが、一旦グランドに出てプレーするとチームの選手を引き立てることを忘れずキャプテンとしての務めを果たすことが出来る別人になるのである。だから、弱小チームナポリでプレーをすることになった時も著名選手として入部しリーダーとしてチームを引っ張り、退部する時は神様となっていたというのがナポリでプレーした実績だ。何しろ、彼が籍をおいていた1984年から1991年まで2回のリーグ優勝、1回のイタリア杯を獲得し115得点を記録している。〈参照:「Espnde portes」〉  マラドナは一旦グランドに出ればキャプテンとしての務めが分かっているが故に、バルセロナのメッシーを見て、「メッシーはリーダーになるためのパーソナリティーを持ち合わせていない」と指摘したのである。  しかし、選手としてリタイヤーすると彼の唯一の生きがいであるグランドでプレーすることはなくなり、コカインとアルコールに精神的気休めを求めるようになったのである。それで一時は体重が120キロまで増え、心臓は30%しか機能しなくなっていたという。〈参照:「El Pais」〉  今年はコロナ禍の影響で試合は中止となったり、観客なしの試合にマラドナは精神的苦痛を感じていたようだ。そこでマラドーナは「観客なしの試合は墓場でプレーしているようなものだ」と皮肉を込めて述べたそうだ。〈参照:Ambito」〉  マラドナはアルゼンチンの独立の為の指導者だったホセ・サン・マルティンが英国に亡命して亡くなったことを譬えて「サン・マルティンは死ぬのに外国へ行った。私は私の国で亡くなりたい」と言っていた。その通りとなった。

アルゼンチン、イタリア両国民も悲しみに

 80年代にアルゼンチンサッカー界の監督の両雄で、二人ともマラドーナを指導した経験を持つセサル・ルイス・メノティとカルロス・ビラルド。  メノティはマラドーナの急死に「まったく理解できない。深い悼みを感じている。この死の前では如何なる慰めもない。それを受け入れる余裕も私にはない。私はぶち壊された感じだ」とTyCスポーツの取材に答えている。  一方、医師の資格を持つビラルドの弟は、テレビなど見れないようにしているそうだ。マラドナが亡くなったのを知って正常圧水頭症を患っていることからそれが悪化することを避けたいからだとしている。〈参照:「Ole」、「Infobae」〉  イタリアのナポリでは27日の午後8時45分に市民がバルコニーなどからマラドナにお別れの拍手を一斉に送ることになっている。〈参照:「La Capital」  世界のファンにたくさんの幸せを与えることはできたが、自らの生活は精神的に苦痛に満ちたものになっていた。それが世界歴代サッカー界で最高の選手と評価されているディエゴ・アルマンド・マラドーナの姿であった。 <文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
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