子どもから大人まで楽しめる冒険活劇である『ミッシング・リンク』だが、大人こそがハッと気づかされるところも多い。これまでのライカ作品では決まって少年少女が主人公であったが、今回はメインとなる3人のキャラクターがみんな大人であることも、それを象徴しているかのようだ。
主人公のライオネル卿は「孤独になるのも自業自得だ」と思えるほどにイヤなやつだ。特に、冒頭のネス湖でパートナーの男性にかけた言葉は、主人公とは思えないほどにひどい。だが、彼の探検家として社会に認められたいという欲求は切実なものであるし、同じく孤独を抱えているMr.リンクと出会い冒険を共にすることで、その自己中心的な性格は少しずつ変わっていく。
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途中で出会うアデリーナという女性は夫を亡くしており、ライオネル卿やMr.リンクと同様に孤独を抱えている。19世紀イギリスという、まだ女性が社会的な枠組みで苦労を強いられていた時代背景も、彼女の気の強い性格に反映されているようだった。悪役が英国紳士のように振る舞っているようで、それが体面にすぎない、実は(特に女性への)差別的な意識が見えているというのも、当時の社会への風刺だろう。
メインの3人のキャラクターは大人である以上に、何か大切なものを失っていて、そして孤独であるという共通点がある。タイトルのミッシング・リンクとは、本来であれば生物進化の過程を鎖に見立てた“失われた環”を意味する言葉であり、類人猿から人間へと進化をしていく過程をつなぐ生物を指しているのだが、本作においては「何かが欠けていた人たちが、その失った(ミッシングした)ものを見つけていく物語」も意味しているのではないだろうか。
人でなしとも言えるほどに性格が悪かったライオネル卿が、人間性を獲得していく話であるということも、「人間へと進化をしていく過程」という意味でのミッシング・リンクにつながる。彼の物語を追うと、「大人は1つの価値観に執着しがちだが、その他のところにも大切なものがあるかもしれない」と気づかされるだろう。
現在『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が公開からわずか24日間で観客動員数1500万人、興行収入204億8000万円を超えるという歴史的超大ヒットを遂げている。このコロナ禍における映画館の救世主的な存在となったこと、実際に素晴らしい作品が大ブームとなっていることは、本当に喜ばしいことだ。
この機会に、ぜひ現在公開中の他のアニメ映画にも目を向けてほしい。この『ミッシング・リンク』の他にも、アイルランド・ルクセンブルク合作の『ウルフウォーカー』や、中国製の『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』は、どちらも老若男女を問わずに楽しめる、そして大人こそがそのクオリティの高さに驚嘆できる内容であったのだから。
街と森という対照的な場所に暮らす少女2人の友情が描かれた『ウルフウォーカー』と、素直な6歳の子どもとクールな青年が旅をする『羅小黒戦記』は、異なる種族の対立が描かれることや、基本2Dのアニメでありながら空間を意識したアクションが大迫力であることなど、共通点も多い。魅力的なキャラクターが己の信念を貫き通そうとする様は、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』にも通じている。
さらに、この『ミッシング・リンク』を観れば、さらに作り手の尋常ではない努力と研鑽により完成したストップモーションという、アニメという芸術およびエンターテインメントの多様性をより知ることができるだろう。様々な国のアニメ映画を、映画館という最高の環境で堪能できるということが、どれほど喜ばしいことか。ぜひ、この機会を逃さないよう、それぞれをスクリーンで堪能してほしい。
<文/ヒナタカ>