オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし

上田市の担当者を直撃すると……

 取材に応じた上田市の担当者に、裏付けとなる史料の存在を訊ねたところ、いきなり口ごもった。何度も何度も「弱いところはある」と繰り返すのだ。こちらは、神社仏閣がレイラインで結ばれていることや、線路が空からみると龍のかたちをしていることを書いてある文献を訊ねているのに「弱いところはある」と繰り返すばかり。何度も同じ質問を繰り返してようやく担当者は「別所温泉のサイトです」といった。  別所温泉は上田市を代表する温泉地。その公式サイトには「太陽と大地の聖地温泉」という文字が躍る。サイト内には別所温泉は「太陽の力と大地の力が一点に集約される」などなどの説明が書かれている。担当者は、このサイトにも登場する聖地研究家を名乗る内田一成なる人物の主張が上田市の日本遺産の説明の元ネタだという。この内田という人物、自身の主催するサイトでもレイラインについて語っているが、学問的な裏付けはどこにもなく本人の感想を語っているだけなのはいうまでもない。  一通り説明を聞いたあと、上田市の担当者に改めて尋ねた。 「つまり、歴史史料はなにもないのですね?」 「……はい」  ようやく根拠などなにもないことを認めた担当者だが、必死にこうつけくわえた。 「たしかにこれまでも、おしかりは頂いています。ですので、これから補充の調査を行う予定なんです……」

「言い伝えがある」と言い張る人吉の風水都市

人吉城

相良家が建てた人吉城

 今年、水害で甚大な被害を受けた熊本県の人吉市など球磨川流域。先日、復興途上の地域を取材に出かけた際に、地元の人から「最近は、こんな町おこしがあるんですよ」と、少し困った顔で教えられた。  人吉市をはじめとする球磨地域の自治体が共同で運営する観光目的のオフィシャルブランド「人吉・球磨 風水・祈りの浄化町」である。  人吉球磨観光地域づくり協議会が運営するこのサイトの主張を端的に記すと人吉・球磨地域は三日月型の盆地で、鎌倉時代以降700年にわたって、この地を統治した相良氏は気が溜まるに最適な盆地に結界を設け、聖域とすることでさらに強く気を取り込み、人吉・球磨地方の安定を確保しようとしたのだという。  実際、人吉には初代・相良長頼が人吉城の基礎を造った際に発見したといわれる三日月石が霊石として現在まで伝わっている。また、菩提寺の建立にあたって鬼門の位置を考えて設計したことはわかる。  ところが、サイトの記述はあらぬ方向へ進んでいく。 === この地を語るにあたってのキーワードとしては大きく2つ、風水と三日月の気(エネルギー)です。 相良家は気が溜まるこの盆地において、天(三日月)からの気を中心部である三日月城に集中させるように城下町の設計を進めていったのです。 ===  相良家が一定の方針をもって城下町を設計したことは間違いないが、気を集中させるようにしたとか、風水に基づいているというとはどういうことなのか。人吉球磨観光地域づくり協議会の担当者に取材したところ、そうしたことを記した文献はないとした上で、こう語るのだ。 「寺の配置とか状況証拠はありますし。誰が言い出したかわからないけれど、言い伝えはあります」  確かに上記サイトでも相良家39代当主・相良知重が「風水思想に基づいて配置されているとは代々聞いておりました」というコメントを寄せている。しかし、人吉の人に聞くとみんなこういうのだ。 「そんな言い伝えは、聞いたことありませんよ」  代々の口伝とでもいわれれば、もはや裏付けは不可能であろう。いや、風水を別にしても「風水・祈りの浄化町」として、あたかも相良氏が長らく統治した平和な土地だったかのような演出をしていることそのものが、歴史の隠蔽といえる。鎌倉時代に地頭に任ぜられて以来、明治時代まで存続した相良家は、極めてまれな大名家である。しかし、それゆえに一門や代々の家臣が多く江戸時代になっても藩内で争乱は絶えず、藩主の暗殺事件まで起こっている。そうした歴史的事実に上記のサイトはまったく触れてはいない。
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全国に広がるエセ歴史町おこし
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