被災地を離れたら支援なし。復興支援をめぐる行政の非情
パプアニューギニア海産(大阪・茨木市)は、南太平洋のパプアニューギニア沖で獲れる天然エビを専門に取り扱う会社だ。1985年から30年にわたり現地生産者と歩み、彼らの自立も支援している。
しかし震災により、宮城県石巻市の工場が津波で全壊。折しも東電原発事故が深刻化する中、事業継続に向けて下した判断は大阪への移転だった。
「阪神淡路大震災の際に生まれた強い信頼関係があり、大阪の方々が差し伸べてくれた温かい支援に導かれる形で移転を決めました」。武藤優社長は当時を振り返る。
新たに設備を揃えるために借金をした。震災前からのものと加えて「二重の債務」を背負うこととなった同社は行政の支援を受けるべく、宮城県産業復興相談センターを訪ねた。
「相談当初、『特定被災区域』を出たので支援の対象外だという、明確な拒否はありませんでした」(武藤氏)
相談では震災前の残債務や今後の事業計画などについて、書類を提出。宮城県産業復興機構が実施し、センターが支援する債権買い取りに向け、金融機関も交えて交渉を重ねた。
ところがその後、センターの態度が変化。「『被災地を離れた会社は支援の対象にならない』ということで、相手にしてもらえなくなった」(武藤氏)という。
同社は昨年に入り、アベノミクスによる円安などの影響を受けて原料価格が高騰。震災前の売上を回復できない中、やむを得ず値上げに踏み切ったところ、4月の消費税増税のあおりで売上が急減した。
宮城県産業復興センターは「個々の事案については答えられない」としつつも「個別に検討している。区域外への一時的な移転の際には支援もあり得る」と説明。「被災地に戻らない場合には支援しない」との考えを示した。
「今さら国に望むべくもないが、今後は被災者が等しく支援される仕組みであってほしいと思います」と武藤社長。再建に向け、同社の苦しい戦いが続いている。
東日本大震災で被災し、再起を図る事業者の中には、やむなく被災地を離れて新天地を目指すケースも多い。ところが行政が支援するのは原則として「被災地での再建」のみ。多くの被災企業の上に、そのハードルが重くのしかかっている。 <取材・文/斉藤円華>
移転事業者「等しく支援を」
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