最終処分場選定のための文献調査を受け入れた町で小泉元首相が講演
11月3日、高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場選定プロセスの第一段階(文献調査)に応募した寿都町で講演を行う小泉純一郎元首相
「原発ゼロ実現」に向けた全国講演行脚を続ける小泉純一郎元首相が11月3日、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定プロセスの第一段階(文献調査)に応募した北海道の寿都(すっつ)町で講演。反対する住民団体
「子どもたちに核のゴミのない寿都を! 町民の会」が主催、町内外から約400人が参加した。
「日本の歩むべき道」と銘打った講演の冒頭で、「町民の会」の吉野寿彦共同代表(水産加工会社社長)が経過を説明。8月13日の『北海道新聞』が「町長応募を検討」と報じてからの2か月半を振り返りつつ、
「文献調査応募が決定的になった10月上旬、(講演依頼をしていた)小泉元総理から『寿都に行く』という返事をいただけました」と紹介した。
続いて登場した小泉氏は、フィンランドのオンカロ最終処分場の視察体験を語る“定番ネタ”をここでも披露、
「日本では最終処分場の建設が不可能に近い」ということを説明したのだ。
「(最終処分場の建設が進められているフィンランドのオンカロ)は火山や地震や断層がない。岩盤に囲まれた島の地下400mに2km四方の部屋があり、核のゴミを約10万年保管する。
しかし、日本で400mも掘ったら温泉が出てくる。日本は原発が50基以上あり、どこに(最終処分場を)造ればいいのか。処分場のあてがない以上、原発は動かすべきではない。
よく政府は『再稼働を許しているな』と呆れている。できるだけ早く原発ゼロの方向にかじを切らなければいけない、ということを言い続けていきたい」
まさに「トイレなきマンション」のような状態での原発再稼働に釘を刺す一方、菅義偉首相(政権)に脱原発への方針転換を次のように呼び掛けた。
「(日本は)石炭火力をやめようとしている。同時に原発もやめなければいけない。『両方は無理だ』という人もいますが、両方やらなければいけない」
たしかに菅首相は、所信表明演説で「2050年に温室効果ガス排出ゼロ」と表明するなど「脱炭素(脱石炭火力)」には熱心だが、「脱原発」には不熱心。安倍政権の原発推進政策をそのまま継承し、初の地方視察で福島を訪れた時も「原発ゼロ」について語ることはなかった(筆者記事
「菅政権は第三次安倍政権にすぎない。原発推進政策はまったく変わらない!?」参照)。
講演後に子供たちから花束贈呈を受けた小泉氏
そこで講演終了後、花束贈呈をした子供たちとの記念撮影を終えた小泉氏を直撃、
「菅総理について一言お願いします。原発推進政策を打ち出していますが」と声をかけると、笑顔を浮かべながら
「原発ゼロにした方がいいのだよ」と答えた。
「今のところ、その兆候はありませんが……」と言うと、小泉氏は
「決断すればいい!」と言うかのように手を上から下に振り下ろした。
この日の講演には、文献調査を決めた片岡春雄町長からも「出席」という連絡があり、最前列に席が用意されていたが、会場に姿を現すことはなかった。翌4日の『朝日新聞』北海道版は、
「悩んだ揚げ句、行かないことにした」という町長のコメントを紹介したが、主催者の吉野共同代表は終了後の囲み取材でこう批判した。
「『来る』と予告をしておいて、ドタキャンですね。残念ですが、想定はしていました。人の話を聞くというのは勉強ですよね。『勉強もしたくないのだな』と思いました」
町長の応募検討表明後、9月10日に町内で説明会が開催された。母親と一緒に参加した小学生の女子児童が
「核のゴミはどういうものですか。安全ですか」と質問、町長が
「説明するだけの能力が私にはない。だから、(調査に応募して)みんなで学びましょう。学ぶことは悪いことではない」と回答した。
女子児童には「みんなで学びましょう」と言いながら、自分は学ぼうとしない。この言行不一致を吉野氏は問題視したのだ。さらに吉野氏は冒頭挨拶で、住民説明会の様子もこう紹介していた。
「説明会に何度も何度も参加して片岡町長の話を聞き、異議を申し立てましたが、会話になりませんでした。『寿都に核のイメージがつく』『文献調査だけで20億円もらえるような話はない』『核のゴミが本当にやってくる可能性がある』と言っても、まったく耳を傾けてもらえませんでした」